(ひこにゃん)
多賀大社も参拝し、一応、すべての目的は果たしたものの、もう一つ寄って行かない?・・・・ということで、お隣の彦根市に行ってみました。
そうです。彦根と言えば「彦根城」。彦根城と言えば「ひこにゃん」。
以前から、名神を通るたびに、彦根城が気になっていたのですよ~(笑)。
あの「ゆるキャラブーム」のきっかけとなった「ひこにゃん」に一度会ってみたい・・・と思いました。
そこで、一路、彦根市へと向かいます。
市街地に入っていくと、何やら賑やか・・・なにかイベントをやっている様子。
なんだろう??と思いつつ、車を彦根城に走らせていくと、どうやら彦根城で大きなイベントが開催されるようです。沿道の看板を見ると、「彦根城まつり」だそうです。
お城近くの駐車場へ行くと、イベントの関係で、全て「満車」。
駐車場係のオジサンが、「この先の信号を右に曲がって、そのまままっすぐ行ったところに、臨時駐車場がありますよ。でも、満車かもしれないので、とりあえず、そちらへ行ってみてください。」とのこと。
夫と「どうする~?」と相談した結果、「とりあえず、その臨時駐車場へ行ってみて、もしも満車だったら、今回は縁が無かった・・・ということで、あきらめて帰ろう。」という話になりました。
オジサンの言われた通りに、お堀沿いの道を真っ直ぐに進み、右折して、道なりに進んで行くと、グランドになっている所が臨時駐車場になっていました。
どうかな~、空いていないかもしれないよね~・・・と言いつつ、臨時駐車場の入り口まで行くと、担当のオジサンが、「祭りを見るの?車、止める?」と聞いてきたので、「ハイ」と返事をすると、「了解!さぁ、入って~」と誘導してくれるではありませんか~。
入り口から入ると、まだ充分に駐車できるほど、スペースが空いていました。
「おお~、これは、お城に行きなさい・・・のサインだわ。ご縁があったね~」と夫と喜びました。
しかも、この臨時駐車場、目の前がお城のお堀で、お城への出入り口がすぐ近くなのです。
なんとラッキーなのでしょう。先ほど満車だった駐車場よりも、うんと城に近い場所でした。
夫と二人で、神仏のお導きに感謝しました。
駐車場係のオバサンにお金を払っていると、このオバサンが「もうすぐパレードが始まりますよ~。この先の道に出て待っていれば、すぐそこを(パレードが)通るから、急いで見に行ってくださいね~。」と教えてくださいました。
おお~パレード!
さっき、市街地を車で通ったとき、歩道にたくさんの人だかりがあったのは、このパレードを目当てに集まった人たちだったのね~。
ディズニーランドのテクニカルパレードを待っている人達みたいに、沿道にたくさんの人が座って場所取りして待っていたけど、あれは、この彦根城のパレードを見に来た人たちだったようです。
でも、その前に、駐車場のトイレに行っておきましょう・・・。と、夫と二人でトイレに行っていたら、なんと、その間にパレードはスタートしたみたいです。
お城からゾクゾクと昔の装束を着た人たちが出てきて、練り歩いています。
駐車場の出入り口から、数百メートル先の道を、馬に乗ったお侍が通っていくのを見て、「もう始まっているー!」と、夫と猛ダッシュでその道まで走りました。
走って走って・・・やっとこさ着いたけど、前半の行列は、行ってしまったみたいです。しかも、どうも、この前半のパレードに「ひこにゃん」も参加していたみたい・・・。
ああ~ひこにゃんを見逃してしまった・・・泣。
でも、次々と行列が通っていくので、気を取り直して、パレードを見物しました。
馬に乗った侍大将。誰か分からなかったけど、彦根藩士かな??。
甲冑の侍たち。甲冑隊の中には、女性の姿もちらほら見えました。
裃(かみしも)姿の武士。
市女笠(いちめがさ)の綺麗な女性たち。
なんと、藤堂高虎公も御出陣。高虎公は騎馬ではなく徒歩でした・・・。
おお~!いよいよ、彦根藩主であり、幕末の大河ドラマには必ず登場する、あの有名な老中・井伊直弼(いいなおすけ)公の大名行列のお通りです。
「ひかえ~控えい~!」と声がかかるけど、今は誰も控えるどころか、写真撮りまくり~でした(笑)。
昔なら、殿のお通りにこの態度では、沿道の皆の衆は、「頭(ず)が高い!無礼者!」とバッサリ切り捨てられるよねぇ~。・・・と夫と話しながら、私たちも写真を撮りまくります・・・(笑)。
行列の中には、外国人のお侍さんも・・・。今や大名行列も国際的になりました(笑)。
馬上の人が、井伊直弼公です。
沿道の人だかりがすごくて、両手を伸ばしてやっとの思いで撮ったのが、この一枚。
私たちの周辺では、オバサンたちやギャルたちが、「井伊直弼、男前やーん」「ええ男やわー」「イケメンちゃう?」と、それぞれ、口々に言っていました(笑)。
確かに、時代劇のヅラが似合う、とても素敵な方でした。
その後、表門から中に入ると、ちょうど鉄砲隊の実演披露がありました。
↑ちょうど発砲したところです。
大きな音が響き渡り、観客たちは「すごーい!」と歓声を上げてしました。
入場受付の窓口に貼ってあったポスター。
今年は、井伊直弼公の生誕200年なのだそうです。
ちなみに、ひこにゃんは、井伊家のお屋敷で飼われていた猫がモデルなのですよ~。
世田谷区にある豪徳寺は、井伊家の菩提寺で、「井伊家の猫」つながりで、境内には招き猫がたくさん祀られています。
詳しくはこちら↓。
気持ちを一新した旅②(世田谷区・豪徳寺)
さあ、入場料を払って、いよいよ入城です・・・。
長い石段を登って、天守閣へ向かいます。
この石段、敵の侵入を防ぐために、段々がとても上りにく配置になっているのですよ~。リズミカルにトントンと上っていけないように、わざと変調子?で、リズムを壊すような段々なのです。
だから、疲れる疲れる・・・。
年寄りや足の弱い人には、ちょっとしんどい石段です。
こちらが天秤櫓(てんびんやぐら)です。
ここまで来ると、かなり高度があるので、彦根の町がよく見えます。
この櫓の門をくぐって、さらに石段を上ります。
おお~見えてきました。これが天守閣。国宝ですよ~。
それにしても、この日はとっても良いお天気で、暑かったです。
汗をかきながら、フーフーと石段を上り、ほぼ山の頂上に当たるところに、天守閣がありました。
じゃーん。国宝・彦根城とひこにゃん(の写真パネル)。
なんと残念なことに、ひこにゃんがお城の天守閣に現れるのは午前中のようで、この時間は、下の彦根城博物館に登場する予定でした・・・泣。
ひこにゃんには会えなかったけど、国宝の天守に登ってみましょうか・・・。
それにしても、とても美しいお城です。
慶長12年(1607年)に完成して、今に残る天守閣。
なんと400年の歴史を有しているのですよ~。素晴らしいです。
さてさて、天守閣の入り口で靴を脱ぎ、靴袋に入れて、中に入ってみました。
とても重厚な造りの建物です。
実は私は、お城は、過去に、名古屋城・松本城・松山城・岐阜城・犬山城・・・と、結構、いろいろ行っているのですよ(子どものころに上ったきりで、覚えていないものもありますが・・・笑)。
昔の建物は、とにかく階段が急で、とても怖いです。
お城に限らず、合掌造りの家も、昔の建物は、だいたいが、階段が急で、一段一段の間隔が大きく、子供には危ない感じです。
この彦根城の階段も、なかなか急な作りで、しがみついて登らないと怖い感じでした。
今でこそ、階段に「滑り止め」や「手すり」を設置しているけど、昔は、そんなバリアフリーな造りではなかったので、とても怖かっただろうなぁ~と思います。
でも、昔の人は、足腰が丈夫だから、きっとスルスルと上手に登ったり下りたりできたのでしょう。
それにしても・・・。今回の旅では、「灯台」・「楼」・「天守閣」・・・と高いところに上る機会に恵まれました(笑)。
以前の私なら、「怖いからパス」していたと思うのですが、今回は、ちゃっかり上りきりました。
勇気を出して「高いところ」に上ることによって、今まで見たことのない風景に出会うことができました。
これが天守閣から見えた風景です。
琵琶湖もよく見えます。
城内の紅葉も美しいです。
これが天守閣の中です。順路は一方通行で、グルリと中を一周して見て回り、また階段のところに戻ってくる・・・というシステムでした。
遠い昔、このお城を作った人々は、よくぞ後世にまで残る立派な建造物を造ったものだ・・・と心から感動しました。
お城のお堀や石垣など、基礎の部分からしっかりと強固に積み重ねて作り上げていったのだと思います。土台がしっかりしているから、だから、こんなに立派なお城が、その基礎の上にデ~ンと築き上げられたのです。
400年たってもビクともしない、強くて逞しくて、優美で美しいお城・・・。
今も、地元の人々に愛されて、町のシンボルとして大切にされているお城。
彦根藩30万石は、とてつもなくスケールの大きな世界でした。
ひこにゃんのことも、ただの猫だと思っていたけど、こんなに広い敷地の大きなお城にいる猫なんだから、セレブなのですよ~(笑)。
ひこにゃんは、単なる可愛いだけの「ゆるキャラねこ」ではなく、あの御方は「セレブ猫」だと、この彦根城に来て、そう痛感しました(笑)。
ひこにゃん、侮るべからず!
天守閣の見学を終えて、外に出てきた私たち・・・。
やはり立派なお城だなぁ・・・と、改めてそう思いました。
もと来た石段を下り、途中で、茶室にて御抹茶を一服し、出入り口へと降りていきました。
先ほどの入場のときは、表門から入りましたが、今度は駐車場に近い大手門から出ました。
立派なお堀。
屋形船かな??
船は大手門の橋の方へと進んで行きました。
船が走るほどの大きなお堀。
さすが彦根藩。大したものです。
この広大な城の中に住んでいる(ことになっている?)ひこにゃんは、まさにセレブ猫だわ~。そう簡単に会えない、雲の上の存在なのよ~きっと・・・。と、夫と話しました(笑)。
この日はお天気が良かったので、「彦根城まつり」も大盛況だったでしょうね~。
私たちが駐車場を出るころは、おまつりも終わり、帰路に向かう人で、高速道路のインターチェンジ付近がとても混んでしました。
こうして気が付くと、もう夕方・・・。
この日も、夫と仲よく楽しい一日が過ごせました~。
今回の旅で、私は、これからも夫と仲よく生きていこう・・・と気持ちを新たにしました。
実は、義父母のことで悩んでいた時、スピリチュアル系のカウンセラーの方々に相談したことがありました。
この時、すべての人たちから「離婚しなさい」とアドバイスされたのです。
確かに、離婚して縁を切ってしまえば、とても簡単だし、もう傷つくこともないだろうから、気分も楽になって良いだろうなぁ・・・と感じました。
でも、自分の中で、「離婚」は、本当の解決策にはならないような気もしていました。
私の場合は、離婚して逃げるよりも、逃げない覚悟をもって家族を私のエネルギーで包み込み、私のエネルギーでビンビンと多大な影響を与えて、私のエネルギーをもって家族の意識を大きく変革させてしまう方が、私にとって「もっともベストな卒業のスタイル」だと感じたのです。
これは、直に「離婚」を勧められたお蔭です。第三者から言われて、そこで初めて、その選択も視野に入れて自分の人生を見つめ直すことができました。それでようやく悟ったのです。言われなければ、自分にとっての本当の「卒業」に気付けなかったと思います
縁を切ることは、いつでもできます。
でも、その前に、結果的にどうなるかは分からないけど、自分で出来ることは精一杯やりきってしまおう・・・。それで悔いのないようにやりきって、その結果を見て、改めて考えてみよう・・・と思いました。
私は、義父母の前では気を使って、自分を出しきっていなかったのです(笑)。
でも、それは止めました。
義父母に多大なエネルギーを燦々と降り注いで、彼らを正しい実践の道へと導いてしまおう・・・と決意しました。
といっても、特別な事をしたわけではなく、自分の考えや思いを正直に伝えることをしました。
義父母がヒーヒーと私を押さえつけようとしても、私は全く意に介さず(笑)、自分の感じたことや思ったことを正直にポロリポロリと話しました。
最初は、私のことをバカにして見下していた人たちでしたが(笑)、でも、私が淡々と自分の感じたことを正直に伝え続けることで、「新しい風」を義父母の心に吹かせることができました。
夫に対しても同様でした。
夫とは、新婚のときから何でも話せる関係を築いてきたのですが、夫には、自分の親に対する幻想を外してもらって(笑)、客観的に俯瞰して見たときの「実親の本当の姿」を理解してもらいました。
その過程で、夫は子供時代からの親子関係で、親との間で悩んだり辛かったことを吐露するようになり、今まで溜めてきたことを全部吐き出して、どんどん身軽になっていきました。
次に義父に対しても、病院でも付き添いの時に、私が感じていることを正直に話し、私の価値観や哲学を義父に伝えました。説教ではなくて、本当にさりげなく、「私はこう思うんですよ~」という感じで・・・・。
そうして義父の心の中に種を蒔き、次に、一番困難だった義母に対しても、私は正直に思うことを伝えるようになりました。
それは、日々の義父母とのかかわりの中で、義母の価値観や物事の受け止め方が、私と大きく異なっているときに、「私はこう感じますよ~」という感じで、サクサクと言うようになりました。
もちろん、最初は嫁に意見されてカチンと来たのか、ヒーヒーと怒って大変でしたが(笑)、でも私は、決して悪いことはしていないのです。単に、義母と違う意見だというだけで、私は至って穏やかに丁寧に話しているだけです。
その中身が「気に入らない」と言って、義母は勝手に腹を立てているだけなのです。
私は、心を純真にして、真っ新な心で、正直に「私が正しいと信じること」を伝えました。
ここでの「正しい」とは、私の個人的な主観で判断した「正しい」ではなく、「倫理的に・道徳的に・哲学的に、これが真理であると私が感じていること」です。
人の欠点を見つけて貶している時には、「そういう見方ではなく、こういう風に受け止めると良いですよ~」という感じです。
すると、だんだんと義母も私の話を聞いてくれるようになりました。
私が話し出すと、急に静かになり、真剣に耳を傾けてくれるようになったのです。
こうして、義母の心にも種を蒔くことができました。
真面目な話だけではなく、ときには冗談も言って笑わせたり、私も大笑いしたりして、楽な気持ちで何でも言えるようになりました。
また、嫁の私からは言いにくいことは、夫がキチンと言ってくれるようになりました。
夫の価値観や物事の受け止め方が、どんどん私に近づいていって、とても身軽になったのです。
それまでは、重苦しくて、世間体や親の価値観を重視して、私をそこに縛り付けるところがあったのですが、今では二人で仲よく、軽々と何でもチャレンジできるようになりました。
この変化は、今年一年で起きたことです・・・。
今までの私は、本当に自分自身のことが、よく分かっていませんでした。
でも、私のエネルギーはとても強大で、家族を全部飲み込んでしまえるほど、強い影響力をもっている・・・ということを、実は、今年の初めに知ったのですよ~(笑)。
寒い冬の京都で、Yummyさんのカウンセリングを受けたとき、「家族の中で一番強いのはEmikoさん!獅子なのに、姑さんから「あんたは猫やー!」と洗脳されて、それを信じてしまっただけです。Emikoさんは眠れる獅子なんですよ~!」と言われて、「あっ!そうなんかー」と驚いて、ハッと自覚した・・・という訳です(遅すぎ・・・笑)。
それで、「よし、ならば獅子に戻って、やってみよう!」と奮起したのです。
もしも、そのまま他の人に言われるまま離婚していたら、私は、自分の中に在る獅子エネルギー(百獣の王?)を自覚しないまま、スルーしてしまっていたかもしれません・・・。
奮起して、一年たたずして、もう、ここまで家族を変えてしまいました・・・(笑)。
ならば、もっと早くに奮起すればよかった・・・と思う、今日この頃です(笑)。
でも、あの時、長い間、「私は猫」だと信じて、ゴロゴロと小さくなり「猫を被って」生きてきた日々も、今になって思えば、私の心の成長にとても大事なことだったと思います。
そのおかけで、嫁姑や親子関係のお悩みに共感できて、理解できて、正しい解決法についてもよくわかるのですから・・・。
乗り越えて克服したからこそ、いろいろ見えてくる世界があります。
でも、離婚については、「即、離婚」の方がベストの人もいますし、結婚する以前のところで「その相手を選んだら絶対にあかん!」という人もいますし、人によって「ベストな解決策」は千差万別です。
いろいろな答えがあり、様々な解決策があり、いろいろな世界が広がっていることを知ることによって、お伝えできる情報も多様になると思うのです。
その部分で、私は一つ乗り越えたこともあり、他の人よりも視野を広げて、アドバイスできるようになったように思います。
こうして、いろいろ取り組んでいき、この夏にレーネンさんのセッションを受けたとき、思い切って義父母のことを聞いてみました。
すると、「彼らはあなたのエネルギーを受けて、もう充分に、その影響を受けていますよ。変化していますよ。」と言われました。
このとき、私のやり方で良かった。これで良かったのだ・・・と思いました。
そうして今現在、こうして夫と旅をするようになり、楽しい時間を共に過ごせるようになりました。
帰りの車の中で、「とても楽しい旅だったね~」と話しました。
美しい夕陽。こうして私たちの旅は終わりました。
おしまい