なんとかなるさ~

Emiko/記録の保存庫

カテゴリ: > 信州


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諏訪上社の本宮を出て、次に下社の方へと向かいます。



諏訪大社の下社は、秋宮も春宮も、諏訪郡下諏訪町というところにあります。
岡谷市に近いです。



本宮から、諏訪湖沿いに車を走らせました。


上社と下社は距離があるので、続けて参拝するなら、やっぱり車を運転して行った方が便利だと思います。
(車で30分くらいかかります)



まずは、秋宮から参拝です。




神社の駐車場の奥にあった古いホテルが、現在、解体中のようで、工事のため駐車場が狭くなっていましたw。

でも、なんとか一台分が空いていたので(ラッキー☆)、そこに車を停めました。


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参道の木々は紅葉が少しだけ始まっていました。


ここを訪れると、厳かな気分になります。


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この感じ、いつも「出雲大社みたいだなぁ~」と思います。


ドッシリとしていて重厚な雰囲気。とても男性的なんです。秋宮は・・・。



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ここも、たくさんの参拝者で賑わっていました。


夫と二人、参拝できたことの御礼を申し上げ、感謝の気持ちをお伝えしました。


やっぱり、ここは、上社とは異なるエネルギーです。


太古の昔の自然崇拝的なエネルギーではなくて、大和朝廷が平定した後の日本の神々のエネルギーを感じます。


時間が差し迫っているので、ここでの参拝はサクッと切り上げて、次は春宮へ向かいました。


秋宮から春宮までは、車で10分もかからないくらいです。
(徒歩でも行ける距離です。)



春宮の駐車場は、何故か車がいっぱい・・・(^_^;)。

少し待っていたら一台分空いたので、なんとか停められました。


なんでこんなに多いんだろう?・・・と思ったら、結婚式があったようです。

だからかぁ~と納得。


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春宮へ。



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ここは、先ほどの秋宮と違って、雰囲気が、とても繊細で女性的なんですよね・・・。


秋宮は男性的であり、春宮は女性的なのです。


優しくて柔らかいエネルギーです。

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秋宮と似たような感じの本殿ですが、微妙に違います。


ここでも、無事に参拝できたお礼を申し上げ、感謝の気持ちをお伝えしました。




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不思議なんですが・・・。


ここに来ると、いつも京都の下鴨神社を思い出すのですよ・・・。


なんとなく似た雰囲気。


秋宮では出雲を思い出し、春宮では京都を思い出す・・・。


参拝するたびに、遠く離れた地の神社を、ふと思い出すのです。


これってとても面白いことだなぁ~といつも思います。




こうして無事に四つの社をお参りできました。


最後は、春宮の横にある「万事の石仏」をお参りしました。


境内を出て、矢印の案内に沿って歩きます。


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橋を渡って、中州を通り抜けて行きます。


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この川の雰囲気・・・。ここに来ると、伊勢神宮・内宮の五十鈴川を思い出します。

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何となく似ているんですよね~。


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川沿いを歩いて行くと、見えてきました。万事の石仏。


初めてここに来たときは、私たちしかいなかったのに(ヒッソリしていた)、この日はたくさんの人が石仏の前に並んでいました。



この石仏様には、このようにしてお参りします↓。

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この石仏様、本当にお願い事を叶えてくださるんですよ~。



・・・ということで、私たちの番が来たので、心の中でお願いごとを唱えながら、三回グルグルと回ってお参りしました。


最後に「よろずおさめました」と心で呟き、合掌。礼拝。


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このとき、写真を撮らせていただきました。


お参りできて良かった、良かった。


こうしてすべての日程を終えて、私たちのミッションは無事に完了したのでした。




この後、近くのカフェで珈琲を飲んで一休み。


このカフェでは、不思議な出会いがありました。


たまたま偶然、隣りの席にいらっしゃった方が、スピ系の本を出されているという御方でした・・・汗。


お声をかけてお話させていただいたら、いろんなことがシンクロしていて、お互いに「おー!」とびっくり。


これも神様のお引き合わせ・・・かな?


本当に不思議な出会いでした。


(最後の最後まで、神様の粋なはからいが続きます・・・笑)


そこで、いろいろな話を聞かせていただき、楽しいひと時を過ごしました。








夕暮れ時が迫ってきたので、慌てて帰路につきました。

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本当は「雨」の予報だったのに、最後はこんなに良いお天気になりました。



太陽が美しいです。


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今回の旅は、日帰り旅でしたが、ものすごく濃い内容でした。



スピリチュアル・ブームで、神社がパワースポットとして取り上げられて、各地の神社にたくさんの人々が訪れるようになったけど、そんな神社の神々よりも、もっと古い・・・太古の自然霊の神々に出会った・・・。そんな不思議な旅でした。




洗練されシステム化された神道よりも、もっと原始的で野性味あふれるシャーマニズムの世界。


その文化に触れることができて、新しい扉が開いたような・・・そんな気持ちになりました。


私たちが住んでいる地域も、それだったんですよ・・・きっと。


失われた過去の記憶を手繰り寄せるように、私たちの郷土のこともいろいろ調べてみようかな・・・と、ふと思ったのでした。



帰りの車の中で、夫と、「とっても濃い旅だったねw。でも神様のお導きで、無事に諏訪に行ってこれたし、ミシャグシ神様にも出会えたし、いろんなことが学べて本当に良かったね~。」と話しました。



濃かったけど、魂に活力と元気をいただいた・・・そんな旅でした。


おしまい
















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建築家の藤森照信氏が設計した茶室(空飛ぶ泥船・高過庵・低過庵)を見学した後、私たちは、ミシャグジ様が祀られている祠へ行きました。



キレイに草刈りがされていて手入れが行き届いている丘に、ミシャグジ神様の祠がありました。
(上の写真↑がそうです)


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ミシャグジ様は、この説明看板では「みさく神」と記されています。


資料館で頂いたパンフレットによると、ミシャグジを漢字で表記するときは、「御社宮司」の他に「御左口神」も書かれるようです。


ここが全国のミシャグシ神様の総社であり、諏訪上社の神事を司る大切な場所なのです・・・。


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夫と二人で、この社の前までは入らせていただき、お参りしました。


二人で、「私たちを呼んでくださった諏訪の神様は、このミシャグシ神さまだったんだ・・・」と話しました。


私も夫も、そろって同時に、「ここの神様に呼ばれたんだ!」と、ピンと来たのです。



飛騨の日輪神社で感じたことが、ここの資料館で聴かせていただいた話と繋がっていき、最後は、ここに辿りつきました。



神道が浸透していくまえの、もっと昔の原始的なシャーマニズムの時代の神様。


ここに呼んでくださったのは、あの日輪神社も、ここの前社と同様、古い時代の信仰の場であったことを私たちに気付かせたかった、その為に、今も色濃く昔の神事が残っている場所を見せて教えてくださったんだなぁ・・・と感じました。


夫と並んで、ここへ導いて下さったことの御礼を申し上げました。


心から感謝の気持ちをお伝えしました。


こうしてミシャグジ様をお参りして、「そろそろ帰ろうか・・・」と思ったところに、なんと資料館からそこの職員の方(私たちに説明してくださった人ではない他の男性職員)が出てきて、私たちに


「この祠のもっと奥に、古墳があるんですよ。そちらも是非、見てみてください。」


・・・と教えてくださいました。


「えっ?そうなんですか?ありがとうこざいます!」



このタイミングで、私たちに古墳のことを教えてくださるなんて(その人は他の用事で資料館を出たところで、私たちにバッタリ会い、それで古墳のことを教えてくださった感じでした)、なんだか不思議なところだなぁ~と感じました。



これもお導きなのかな??



よくよくお礼を言い、祠からまた更に奥へと歩いて行きました。


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少し歩くと、急な坂の上に碑が建っていました。



ここが古墳のようです。


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「神長官裏古墳」


そういえば資料館で私たちに説明してくださった男性が、「この裏に古墳もあって、守矢家の養子に入った物部の者のお墓ではないか?と言われているんですよ」と話してくださったような・・・。


手元のパンフレットによると、古墳の時期は7世紀中葉か?・・・とのこと。

大正13年に石室内の調査を行い、木簡破片と小刀が見つかったそうです。



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この古墳の裏は、普通に住宅地になっているんですよ・・・(^_^;)。
このお隣の人は、毎日、窓から古墳や社が見えるところに住んでいらっしゃる・・・ってことです。



人里離れた場所にある訳ではなく、人々の暮らしの中に溶け込んで普通に存在している・・・。



そこが、なんともいい感じだなぁ~と思いました。


本当に清らかで気持ちのいい所です。



この守矢家の敷地内は、前宮の周辺と同じく、とても爽やかで清々しい「気」に満ちていました。



「自然」と「人」が調和した感じの、この心地よい空気感・・・。


夫と、「ここって、本当に気持ちが良いところやなぁ~」と話しました。



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最後に、もう一度、神長官守矢資料館↑


これも藤森先生の設計です。縄文時代の建物をイメージして作られたそうです。


この建物は、藤森先生の初期の作品だそうで、この建物も世界から取材のオファーがくるそうです・・・。
(外から見ると、荒れているように見えますが、中はとてもシックでモダンです。)


なんだか、ここで充分に「今回の旅の目的」は果たされたような気分になりましたが(汗)、でも、せっかく遠路はるばる諏訪まで訪れたのですから、他の3つの諏訪大社のお社もお参することにしました。



車に乗って、次は諏訪上社の本宮を目指しました。


この資料館から本宮までは、本当にすぐ・・・です。(車だと、ねw)


この本宮は、諏訪市にあります。



駐車場に車を停めて、本宮に入りました。


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ここも、たくさんの参拝者でいっぱいでした。


でも、ここが人でいっぱいなのは、以前からずっと・・・です。



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私が好きなのは、この欅の大木の周辺。


清々しくて心地よいです。





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でも、やっぱり前宮の方が俗化していなくて、崇高な感じがします。


建物が立派かどうか・・・じゃなくて、私の場合は、自然の純真なエネルギーを感じるか否か?が、好きかどうかの選択基準になるみたいです。←そのことに、この時、ふと気が付きました。


自然というと、都会の人は「優しいもの」だと思い込んで勘違いしていることが多いけど、いやいやいや、自然って、案外、グロくて黒いところも多々あるんですよ(笑)。


「清らかさ」と「グロさ」。この両方がちゃんと備わっている・・・。それが「自然」。


そもそも、自然の中で生きるということは、そんな建前だけでスマートにやっていけるような、甘っちょろいものではないんですよ。結構厳しくてシビア。


そんなグロくて、シビアで、厳しくて、容赦ない・・・。そんな自然だからこそ、時々見せてくれる清らかさが、ハッと胸を打つほど美しく、純真で素敵なものとして感じられるのだと思います。



山の中で生きているからこそ、本物の自然の「怖さ」と「グロさ」、「美しさ」と「気高さ」を身をもって知っています。


自然は、決して優しくて温かいものではありませんよ・・・。甘いものでもありません。


自然が豊かな場所は、種を超えて「命と命のぶつかり合う」・・・そんな闘いの場所でもあるのです。


常に真剣に「生きる」ことと向き合っていないと、流されて食われて死んでしまう・・・。そんな過酷さもあるんですよ。


それが自然。


自然の中では、人間なんてちっぽけな存在です。



そうした本物の自然のエネルギーを、諏訪上社の前宮の辺りでビシビシと感じたのでした。



あの御頭祭なんて、その最たるものですよ。


実際に資料館で見せていただき、圧倒されました。



圧倒されつつ、こういう世界で私たちも生きているのだということを自覚しました。






そして、この本宮は、自然と人間界の境界線のような所だなぁ~と思いました。


人間の俗な部分と、土着の古代の神様の神聖な部分が、微妙なさじ加減で折り重なっていられる所・・・。



そんん所だなぁ・・・と思いました。


ここでも、神様には、無事に参拝に来ることができた御礼を申し上げ、感謝の気持ちをお伝えしました。



この後、諏訪下社へと向かいました。


つづく




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神長官守矢資料館では、長い時間、お話を聞かせていただきました。



なかなか興味深いお話でした。


特に「ミシャグジ神」のお話・・・。



それにしても、大和朝廷に征服されたあと、ムラに残っていた古代神道の名残は消されたものだと思っていたのに、「ミシャグジ神」として全国各地でヒッソリと祀られていた・・・というお話。


何故、ミシャグシ神様だけが残ったのか?



それに、諏訪に出雲族が侵入した後、普通なら、戦に負けた諏訪族の土着の神々は消されて、出雲族の神が祀られるものだと思うのに(世界の歴史はだいたいそういうものですよね・・・)、何故、諏訪地方だけ、土着の神々の信仰が許されたのか・・・?


一応、諏訪大社は、タケミナカタが祀られていることにはなっているけど、でも、前宮のこの御頭祭にしても、守矢家のミシャグシ信仰にしても、これはこの土地の土着の儀式だし、古代の縄文時代の信仰を今に伝えるもの・・・だと思うのです。


それが、中央の政権からも認められ、許可されて、つい最近の近代まで延々と継承されてきたのです。


これって、とっても不思議なことだなぁ~と思いました。


古代史のなかに、何か秘密・・・というか裏取引?みたいなものがあったのだろうか?


出雲族と諏訪族の間で取り交わされた条件・・・とか、諸々あったのかもしれない。



また、大和朝廷の勢力圏に組み込まれていったときに、守矢家など土着の神長官と何か契約が交わされたんだろうか・・・?だから今もこうして残っているのかもしれない。


うーん、私はこうした古代史は専門じゃないから、イマイチよくわかんないけど、でも、深くてディープな世界だなぁ~としみじみ思ったのでした。


ちなみに、全国にある諏訪神社は、ミシャグシ神さまとは関係ないそうです。
(全国各地に今現在ある諏訪神社のほとんどは、「昔、戦国時代に、武士たちが戦勝祈願で自分の領地に建てたもの」なんだそうで、古代の神々とは関係ないですよ・・・と、資料館の男性は教えてくださいました。ナルホド~)



こうしてお話を聞かせていただき、なかの他の展示物も見せていただき、私たちは資料館を後にしたのでした。




資料館の裏を通り、小道に出ると、古いお墓が見えてきました。


かなり年季が入った感じの、古いお墓群。


見ると、諏訪家の墓所でした。


よく大河ドラマの戦国時代モノに出てくる(特に武田信玄がらみで出てくるw)諏訪家。


その一族の墓所が、この守矢家の敷地の裏の静かで穏やかな場所に存在していました。



その墓所を通り抜けて、矢印のついた小さな看板を目安に歩いていくと、見えてきました!


建築家、藤森照信先生の茶室。


まず、最初に目に飛び込んできたのが、これ↓

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これは、「空飛ぶ泥船」という名の茶室です。




夫と、「これ、どうやって中に入るのかな??」と話しました(笑)。


なんだか不安定そうで怖い感じがしますが(汗)、なかなか前衛的な建物です。



さらに奥へと歩いていくと、またまた面白い建物が見えてきました。

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背の高い建物(ムーミンに出てくるようなお家w)と、低い建物(屋根が銅版?でキラキラ輝いています)。



これも茶室で、高い方の建物は『高過庵』(たかすぎあん)。低い方の建物は『低過庵』(ひくすぎあん)という名前なんだそうです。


高過庵↓
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なかなか良い眺めです・・・。


こちらは低過庵↓

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屋根が二段になっていて、上の段の屋根は横にスライドできるそうです。


天気が良い時は、屋根を横にスライドさせて、野点(のだて)が楽しめるそうですよ~。



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藤森先生が設計された建物は、欧米にいくつかあるそうで、それが今注目を浴びており、この三つの茶室の特集番組を作るために、イギリスのBBC放送が数日間ここに滞在して取材を重ねたそうです。(資料館の男性談)



ここは縄文からの文化と歴史が今も残っている場所だから、イギリスの皆さんはさぞ興味深くこの土地に滞在されただろうなぁ~と思ったのでした。


こんな掲示物を見つけました↓

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面白そうなイベントが開催されるようです。

日にちが迫っているけど^_^;、もしも興味がある方は、是非、見に行ってみてください。

本当に面白い建物です。


そして何より、ここからの眺めが素晴らしいです。




ちなみに、この神長官守矢資料館&藤森先生の茶室(低過庵など)は、茅野市にあります。


諏訪上社の前宮も、茅野市です。



お間違えの無いよう、気を付けてくださいね~。




つづく




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