なんとかなるさ~

Emiko/記録の保存庫

カテゴリ:スピリチュアル > 神仏

2 tokyo travel 019
(3年前の2月に、ふとしたご縁で訪れた東京の高幡不動尊。)



まだこのお仕事を始める前に、家族の用事で、年に一回、東京に行っていたのですが、ある時から、高幡不動尊を参拝するようになりました。


そんなに深い意味は無く、ただ、新選組の土方歳三とご縁があるお寺だと知り、大河ドラマ「新撰組!」を見てファンになった夫と子供が「行ってみたい」と言ったので、それで私も一緒について行った・・・というわけです。



もともと私は仏縁が深くて、守り本尊が大日如来様だからかな?・・・行く先々でお不動様ともご縁がありました。



そして、この高幡不動尊も、そのまんま「お不動様」が祀られていて、始めて訪れたのに、なんとも懐かしいような不思議な気持ちになりました。



ここには、幕末の志士が残した様々な品が展示されていて(土方歳三や勝海舟などの肉筆など)、さらに、土方歳三の銅像も立っているし・・・で、新撰組ファンはもとより、幕末が大好きだという人にはたまらない場所(聖地?)だなぁ~と思いました。


更に、境内の奥の方にある墓地には、以前、江原啓之さんが著書で紹介していた「生まれ変わりの勝五郎」さんのお墓があったり・・・と、(狙って行ったわけではなく、偶然、境内を散策していて見つけました)、スピリチュアルっぽいところもあって、ますます不思議な所だなぁ~と思いました。



不思議な雰囲気なんだけど、境内はとてもきれいに清掃されていて、キチッと抑えるところは押さえている・・・という感じです。たくさんの参拝者が訪れるところなので、どうしても聖俗が入り乱れている部分もあるけど、奥の方は清々しい聖地の雰囲気が漂っていて、とても心地よい場所でした。



そんな高幡不動尊に、その後も1~2回訪れました。近くを通りかかると寄って参拝していました。


今は、東京へ行く用事がなくなり、あの場所へ行くことは無くなりましたが、時々ふと「いい所だったなぁ~」と思いだすことがあります。



そうして、今のお仕事を始めたら、なんと、クライアントさんのなかに、偶然にも、高幡不動尊とご縁のある方が何人かいらっしゃったのです~。



リーディングをしていく中で、「この方は仏縁のある方だから、まずは護摩焚きをしてもらって心身の不浄を焼き清めて浄化してもらい、仏界に守り導いていただくと良い」と感じるので、そのことをお伝えし、「護摩焚きをしてくれるお寺で、どこかご縁のあるお寺はありませんか?」とお尋ねしたら、なんと「高幡不動尊」の名前が出てくるのです。


「あれまぁ~、そこ、私、行ったことありますよ~。」


・・・と、ビックリしました(汗)。


そして更に、


「あそこの仏様なら、お任せしても大丈夫。私も安心です!」


・・・と、即答できて、しかも、御祈願の受付場所も(行ったことがあるから・・・)よく知っているので、即、アドバイスができました。



そういうことが、今までに何度かあったのですよ。




3~4年前に、家族で高幡不動尊を参拝した時は、まさか後々、この経験が役に立つとは、全く予想もしていませんでした(笑)。




人生には、こういうことがよく起きるのです。



今は、「なんで私はここにいるんだろう?」とか「どうしてここに行ったんだろう?」と意味不明に感じることでも、後々「そういうことだったのかー!」とわかる・・・みたいなことが、です。




大した意味は無いけど、ノリで行っただけなのに、実は大事な人生のターニングポイントだったりします。



または、後で、その経験がとっても役立つ・・・とか。



なので、頭で「あれは嫌」「これはダメ」とジャッジして切り捨ててしまわないで、なんか気になったり、興味が惹かれたり、不思議なご縁を感じるようなら、気分はのってこなくても、一応「行ってみる」「参加してみる」ことも大切なんじゃないかなぁ~と思います。



ちなみに、私が高幡不動尊へ行ったときは、「35℃越えの猛暑の夏の日」&「東京にしては珍しく大雪が降った日の前日(超寒い日)」・・・でした(汗)。


天候的に、「こんな日に行くのはNG」の日だったんですが(笑)、私のテンションは低くても、新選組大好きで超・行きたがっている夫と子供のテンションはMax状態でした(汗)。


それでズルズルと引きずられるようにして行ってきたのです(笑)。


頭で考えると「✕」だったけど、私にもご縁があったから、それでちゃん参拝して行ってこれたんです。


ご縁が無ければ、行きたくても行けなかったでしょうから(汗)、なので、参拝して正解だったのですよ~。


全てはそういうことです。



ご縁があればスルーと簡単に通っていくけど、ご縁が無ければどんなに努力しても全然通らない・・・。←こういうこと、結構、多いです。



特に「結婚」がそうなんですよ~。


ご縁がある相手だとスルスル~と話が順調に進んで、トントン拍子に何の障害も無く「結婚」に至ってしまうのですが、ご縁が無い相手だと、どんなに頑張っても努力しても、次々と邪魔が入って途中で頓挫し、「破談」してしまうのです。


これ↑本当です。


「就職」や「進学」も同様。


神仏にお任せしていると、「自分にとってベストな場所」に導かれ、そことのご縁が不思議と繋がっていくのです。



なので、第一希望に落ちて、第2希望に行くことが決まっても、決して落胆しないでくださいね・・・。



第一希望の場所より、第2希望の場所の方が、きっと、あなたの人生にとってとても大事な場所になっていくのだと思います。



後々、「こっちへ行って良かった」と思えるように、与えられた場所で最善を尽くしてみてくださいね。



そこが、あなたに与えられ授けられた場所なのですから・・・ね。







高幡不動尊のことを、今、ふと思い出してこの記事を書きましたが、もしかしたら、このブログを読んでくださっている方の中に、ここの仏様に呼ばれていらっしゃる方がいるのかもしれません。



この週末、お参りしてみてください。


仏様、お待ちかねですよ~(^_-)-☆。




飛騨の空②


何かを願うのにも、順番があるのですよ~。


多くの人は、ちゃんとした「願」を立てる前に、「自分のスケジュールはどうだったかな?」とか「お金はあったっけ?」とか「家族になんて言おうかな?」とか・・・等々。純真に願う前に、娑婆の人間関係や物理的な問題が頭に浮かび、それらを「どう解決させようか」・・・と、ついつい考え込んでしまうようです。


例えば、「旅行に行きたい」と思いついた時、「わーい、いつか絶対に旅行に行きたいなぁ~」と心に夢(ドリーム)を描くのではなく、何故か(笑)「スケジュールはどうだったっけ?」「お金、あったかなぁ~」「予算はあまり多くできないから、安いホテルしか泊まれないわ~」「家族になんて言おう・・・反対されると嫌だしなぁ~」「仕事(家事)どうしよう・・・」などなど、頭の中で「行けない言い訳?」を悶々と考えだして、脳でネチネチとこねくり回して(笑)、実際には「何も行動していない」・・・こんな感じのようです。


でもね・・・。これって、順番が逆なのよ~。


そうじゃなくて、「旅行に行きたい」と心の中でふと思ったのなら、素直な気持ちで神仏に「旅行に行きたいです」と宣言して、「どうか旅行に行けますように~」と正直にお願いするのですよ~。

私は、目に見えない崇高な存在のことや高層の世界のことを、「神仏」と表現していますが、「宇宙」でもいいと思います。仏教的にいえば「ご先祖様」でも「阿弥陀様」でもいいし(笑)、スピ的に言えば「スピリット」や「エンジェル」でもいいし、何でも良いのですよ~。


目に見えない崇高な存在に、素直に「私は旅行に行きたいです」と頼めばいいんです。


そうすると、目に見えない存在は、「よっしゃ~任しとき~」と受け入れて、すぐに手配してくださいますから・・・。


ただし、神仏は、自分のエゴや期待とは全くかけ離れた「プラン」を提示してこられます。

だって、人間の小狭い都合や事情なんて、神仏はチマチマ考えていらっしゃらないのですよ~。でもドンブリ勘定?で、最初はチグハグでバラバラだと感じていたことが、最後はピシっと全部、気持ちが良いほど定位置?に収まるので、そこで「ああ~これは神仏の采配だったのか~」と納得できるわけです(笑)。

そして、皆が幸せで楽しくなるように、「無理」が全く無く、いい感じでピタッと収まっているのです・・・。


↑これが、神仏にお任せした時の、願いが叶うパターンです。



ここで、大切なのは、「はぁ~?なにこれ?」と思うようなものが出てきても、ケチをつけたり文句を言ったりしないことです。どんなことでも、「ありがたい」「嬉しい」と感謝して受け取ることです。

それも、無理に作って「うれしい」と感謝したポーズを取るのではなく、本当に「嬉しい」と感じて喜んで受け取る・・・そういう心に自分がなることです。←ここがポイントです。


神仏は、人間の浅はかな思考の範囲で考えていることは、絶対に与えてくださりません~(笑)。人間もビックリするような「そう来たかー!」と驚くような場所から、あるいは、とんでもない隙間から、ポロリと、「今の私にピッタリ合った旅行のブラン」が転がり落ちて、私の手のひらのポンと乗るのです。

だから、心の器がちっちゃくて、キャパが狭くて、自分で何でも仕切っていないと気が済まない人は、「はぁ~何これ?」とガッカリして、残念に感じて、イラッとするようです(笑)。


でも、実は、ここが「人生の分かれ道」で、「お試し」なのですよ~。

しかも、このプランを、自分が心から見下している人間や、大嫌いな人間を通して持って来たり・・・等。その人の心の状態が「清浄で正しい」のなら、全く問題なくスル~できるところから、いろいろと小出しにしてくださるのです。

でも、心が成長していない低層の人だと、「何、これ?ムカつく~」と悪く受け止めて、文句タラタラ~になるので(笑)、せっかく神仏が差し向けてくださったチャンスを見落としたり、貶して捨ててしまったり・・・。とても勿体ないことをしてしまいます。


何が来ても、自分にとっては不本意なことであっても、「あっ!これは・・・」とピンときたら、神仏からのプレゼントだと受け入れて、「わーいありがとうこざいます」と心の底から喜んで受け取れる人は、神仏からの「お試し」に合格の人です(笑)。


ここで、「ちぇっこれかよ~。こんなもの、受け取れねーよ」とケチを付けて却下する人は、その時点で、ゲームオーバー(爆)。「喜ぶ」ことが下手な人・受け取ることが下手な人は、神仏から毎日、燦々と与えられている「小さな奇跡」の数々にも全く気付けていないのです。だから、すぐに、なんでもかんでも「ケチ」を付けて、ブーブーと文句を言って、不満だらけで生きています。


つまり、「心の基盤」が全くできていない・・・ということです。そういう人は、ドーンと大きな「奇跡」を与えてもらっても、「こんなもの、私が頼んたことと違う」と文句を言って却下したり、グチグチと愚痴を言っているので、全然happyになれないのですよ~。


要は、「期待が強すぎる」のだと思います。

「期待」も淡くて可愛らしいものではなく、どす黒くて欲望やエゴが渦巻いている「期待」・・・。
そんな「期待」に執着していて、固執していて、それ以外のものが届くと「怒り」に変わる・・・。これでは、幸せも遠のいていくと思います。

自分が欲していること・・・。この「期待」が、ものすご限定的で、視野が狭くて、固定しすぎていて、「こうでなきゃ嫌」と固執しずきている・・・そんな感じなのです。


自分の許容範囲やキャパを「穴」でたとえると・・・。

「トンネルくらい大きくて広くて、これくらいの大きな穴を通るものなら、私は何でもOKですよ~」と、大きく構えてくれると、神仏も「やりやすい」と思われるでしょうが(笑)、「針の穴くらいの、小さな1mmレベルの穴をスーと通るものでなくっちゃ嫌~!」という厳しい?要求を突き付ける人だと、「そんなの無理だわ~」と神仏も諦めてしまわれると思うのです。

もしも、神仏が、「この人には、高級外車を与えよう」とお思いになられても、当の本人が「私は、今、流行の可愛い国産軽自動車が良くって、色はパステルピンクで、内装はこのパターンで・・・」と限定してきたら、神仏は「えっ?国産軽自動車がいいんかい?じゃあ、この車は、他の者に与えよう~」と、他の人に流してしまうと思うのです。


もしかしたら、国産軽自動車の可愛いピンクの車ではなく、高級外車のセダンにカッコよく乗るのが、その人の人生に必要な経験だったかもしれないのに、今の自分の欲望や主観に縛られ過ぎると、こうした面白い経験や体験を逃してしまうのです。


だから、そうやって限定的に「私はこれじゃなきゃ嫌」と決めつめてしまうのではなく、許容範囲にゆとりをもち、心の幅を大きく広げて、「私は車が欲しいです。どんな車でもOKですので、私にピッタリ合う車を授けてくださいね~」とお願いをすれば良いんですよ~。


そうしておいて、後は神仏にお任せし、「どんな車が届いても、私は喜んで使わせていただきますね~」と楽しみに待つ・・・。そうして、自分の手元に来た車を見て、「これが今の私にピッタリ合った車なんだ~」とサプライズを喜んで受け取る・・・グタグタと文句は言わない(笑)。←こういう気持が大切なのですよ~。


これは、婚活中の人にも当てはまることで、「私は芸能人の◎◎さんのような人と結婚したいです」とか「年収800万円以上のホワイトカラーの人が良いです」なんて限定されると、神仏もとても困るのですよ~。

だって、イケメンか年収とかで注文されても、結婚ってそもそも、そういうものではないでしょう?(笑)

イザナミとイザナギの神様が夫婦となられて日本国が出来た・・・という神話があるくらいで、結婚って、共に仲よく暮らすことで、自分も成長して、相手も成長して、二人で力を合わせて新しいもの(子孫や文化)を生み出すために「夫婦」になるのですよ~。だから、そういう人とご縁があり、縁を結ぶ・・・

、「こういう雰囲気の人」とか「こんな価値観の人」とか、今の自分にピッタリ性格や価値観が合って、一生添い遂げることかでできる人・・・というようにお願いしてもらわないと、結婚相手を授けることはできないのです(笑)。

でも、そういう「心から素直に願う」ということをしないで、ただ、自分のエゴや欲望を満たすことを基準に安易に結婚しちゃうから、長続きしなくて、辛い現実を見ることになるのだろうし、あるいは逆に、期待が強すぎたり、理想が高すぎたりして、自分の身の丈に合った「小さな幸せ」を見逃してしまう・・・そういう人が多いように思います。


だって、逆のことを男性側から要求されたら、とても困るでしょう?


例えば、結婚する女性の、髪の毛の長さとヘアースタイルから始まり、ファッション、体形、靴のサイズ、顔の作り、作ってくれる料理の味、会話のときの話す内容、価値観、夫への接し方・・・等。こういうことを全て厳密に設定されて、「こういう女性でなきゃ、絶対に結婚でませんっ!」と言われたら、ものすご~くドン引きしちゃうでしょう?(笑)。


それと一緒ですよ~。

厳しく限定しないで、すこし緩めてくれて、「こんな感じで、だいたいOK」にしてくれたら、こちらはホッとして安心するでしょう?


また、たとえ、相手の期待に添えなくても、期待破りな私の姿を見ても、激怒しないで、「そうか~。そういうのもあるんだ~」と多様性を認めて、それを喜んで新鮮な気持ちで受け止めてくれる・・・。そんな相手だったら、一緒に居ても楽しくて、ワクワクするでしょう?


ならば、自分がそうならなきゃ・・・ね(笑)。



こんな感じで、神仏視点に立って、自分を俯瞰してみると、案外、自分って「キャパが狭っ!器がちっちゃ過ぎっ!」と感じることが多々あると思うのです。


ならば、そこを広げて大きくしていくことを目指していくことです。

人に「こうなってほしい」、周囲に「ああでなくてはいけない」と、他人に「自分ルール」を押し付けるのではなく、自分の心を広げて、針穴のようなキャパを、高速道路の四車線トンネルくらいに大きく広げること・・・だと思います。そうすれば、多少のことも気にならないし、何があってもスル~して問題にしなくても済むし、相手ともゆるく楽しく関係が結べると思うのです・・・。

なんでも、気楽にスル~できるようにしておく。←これが「心の成長」なのですよ。



そして、何かを心に抱いた時、素直な気持ちで「その思い」を受け止めて、認めて、「夢」としてちゃんと認定することです。


怖がらず、気持ちを楽にして、「自分の夢」として表明したらどうでしょう?


人に公表しなくても、自分の中でしっかりと「願」を立てる・・・これでいいのです。


こうして、自分の心に浮かんだ願いを「夢」認定したら、ちゃんと神仏に「私は◎◎がしたいです」と正直に打ち明けて、言葉で表現してみてください。

言葉に出してみると、また違った感じになり、ぐっと現実味を増してくると思います。


それから、実現に向けて動く・・・行動する・・・実践する・・・。


行動することで、エネルギーを生み出して、グイッと手元に引き寄せてください。

エネルギーを生み出す・・・とは、行動して、自分の魅力を引き出して伸ばす・・・ということです。


魅力がある人になることで、自分の夢にふさわしい人になってくださいね。


これが正しい順番なのですよ~。


そして、神仏にそっとお願いしたら、心の持ち方に気を付けてください。自分の浅はかな損得勘定で物事をジャッジしないで、すべて「神仏から授けられたもの」として感謝して受け止め、「受け取り上手」になってくださいね。


この「受け取り上手」というのも、日々の訓練で、そういう心を作っていくしかないのです。


感謝して受け取る、喜んで受け取る・・・。これを日々の暮らしの中で練習して、訓練してくださいね。



喜んで受け取ってくれると、神仏も嬉しくて、ますます「喜びこと」を授けてくださいます。


ここは、娑婆の人間関係と同じです。


何を与えても、ムスッととして文句タラタラで愚痴ばかりいう人だと、何もあげたくなくなるでしょう?


与えたのに、その価値が見抜けないで、陰口や悪口ばかり言って、不平不満だらけだと、もうウンザリしちゃうでしょう?


・・・それと同じですよ~。


何も難しくはありません(笑)。世の中はとてもシンプルなのです。


だから、もっとシンプルに単純に「喜んで受け取る」・・・これが大切なのだと思います。



ピンと来た方は、どうぞお気軽にお申し込みくださいませ。
7月・8月のセッションのお知らせです。↓お申込み、受付中です。
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(京都・東寺にて)



京都での気づきをシェアします。

京都へ私用で言ったときのこと・・・。


本当は時間の関係で東寺を訪ねるつもりは無かったのですが、急遽予定を変更して、急いで立ち寄ってきました。ちなみに東寺は私が大好きな場所の一つです。


今回、東寺に寄らせていただいたのは、ここの仏様から呼ばれたからなのです。



京都での用事を済ませた後、一旦、京都駅には行ったものの、そこでふと、東寺の仏様たちから「せっかく京都にきはったんやから、顔見せて~なぁ」と言われたような気がして(笑)、「ああ、久しぶりにお邪魔しよう」と思いました。

徒歩でも行けるのですが、拝観時間が気になったので、近鉄で行くことにしました。

切符を買って構内へ入ると、すぐに出発する電車があり、タイミングよく乗ることが出来ました。

でも、駅を降りてから、少し距離があって、10分ほど歩きましたが、急いで行ったので、拝観時間には間に合いました。

受付でお金を払って、境内に入りました。

久しぶりの東寺。

前に行ったのは、昨年の10月に、夫と二人で、九州の宇佐八幡宮へ参拝した帰りに、京都に寄って拝観して・・・それ以来です。

あの時、私は立体曼荼羅の大日如来様に、「彼岸へ行きたいのです」とお願いしたことを思いだしました。

私たちが生きているこの娑婆を「此岸」、お浄土を「彼岸」と言います。

でも、これは、死んで行く場所・・・というより、生きながらにして「お浄土」の心に到達することを意味しています。


大日如来様は、「簡単やで~」と仰ったのですが(笑)、でも、人間の私には、なかなか難しいことでした。

でも、あれから日々の取り組みを通して、自分の心と向き合い、いろんなものを削ぎ落として、どんどん心を「お浄土」へ向かわせる努力をして行きました。


でも、最後の最後に、どうしてもこびり付いて削ぎ落とせなかった「心の古傷」があり、それを、先月の大阪・京都の旅で、浮き上がらせることができ、さらに、サッパリと剥がして手放すことができたのです。


私一人の努力では、此処までが限界・・・。でも、人生の先輩方の力を借りて、「まな板の鯉」になってお願いして、全てを委ねて、セッション&カウンセリングを受けて、ようやく手放すことが出来たのです。


「罪悪感は、右脳が作りだしている」という研究結果が発表された・・・と、数日前のニュースで読みましたが、左脳が作りだす「ジャッジ」や「エゴ」、右脳が作りだす「罪悪感」、これらから完全に卒業することが、実は、「彼岸」の境地だったのだ・・・と、その時、ふっと気が付いたのでした。


自分の願いは「必ず叶う」のです。


そして、全てを引き寄せるのです。


期待もジャッジもエゴも罪悪感も捨てて、宇宙と一体となった自分になれば、全てが自由に受け取れるのです。




東寺に寄り、立体曼荼羅の大日如来様の前に立って、「あの時、ここで立てた願を叶えてくださり、ありがとうこざいました」とお礼を申し上げました。


願を立てた時から、見えない糸でスルスルと導かれて、ここまで来たんだなぁ~と実感しました。

突然、ポン!と悟るのではなく、そろそろと暗闇の中の道を、手元の小さな明りを頼りに歩いていく・・・そんな感じで、少しずつ少しずつ進んで行くうちに、やっとこさ、トンネルの出口に到達した・・・。そんな感じです。

この、暗闇の中をわずかな明りを頼りに歩く・・・という過程も、実は、結構、楽しいのですよ(笑)。

到達してしまうと、「到達したい」という楽しみが終わってしまうので(笑)、だから、到達する以前のその過程の部分・・・ここが実は、一番、楽しいのです。ワクワクするのです。

実は、昨年の10月に東寺で願を立てる以前から、ずっと私は、「心をお浄土にする」ということに取り組んでいました。今から15年くらい前に、他のお寺で、興味本位から、ふと「菩薩の境地ってどんな感じなのだろう??」と思い、そっと願を立てました。

それから、私は、同行二人で、神仏のお導きを得ながら、ここまでコツコツと一人で取り組んできました。

この過程で、人間の師を求めていた時もありましたが、でも、所詮、人間なんだよなぁ・・・と感じることも多々あって、私は、明確な人間の師をもたず、直接、神仏から教えを乞う形で、今まで来ました。


でも、ここ数年、スピの世界に足を踏み入れるようになり、私を助けてくださる方と出会うようになり、ここから、流れが大きく変わってきました。

でも、相変わらず、最後のもう一歩が「どこへ向かうと良いのか」分からなくて、ウロウロしていた状態でした。
とはいえ、いつまでも、この長い旅(暗闇を歩く)を続けていくわけにもいかず、私は、とうとう、人の力を借りて、このトンネルの出口を教えてもらうことにしたのです。


そう・・・。今までは、自力で「自分が進むべき方向」を探っていくのが、とても楽しかったのですよ(笑)。


簡単に人に答えを求める人もいますが、でも、私は、「もう少し自分で格闘して、自分で答えを見つけていきたい」と思っていて、その過程を楽しんでしました。

うまくいかない理由も、失敗した原因も、自分の中にあることを自覚していたので、それに対処するしなかいから、だから、自力でコツコツと取り組んで、地味に自分を成長させる・・・。この方法を、私は選んで、楽しんで取り組むことにしていたのです。

でも、そうやって自力でコツコツ取り組むことは、もう充分にやり尽くして「地力」は付いたので、これからは、人の話を聞いて、人が体験から得た方法や真理を、教えてもらって、シェアさせてもらう・・・。この方法にシフトしなくてはいけない・・・そういう時期に来たんだ~と感じました。

だから、目の前に「信頼できる人」が次々と現れたのだと思います。

そういう人の力を借りても大丈夫だよ・・・と、そういうタイミングに到達したのだと思っています。


私の課題で、最後に残った部分は、自力で取り組んだのでは、解決できない仕組みになっていました(笑)。
いつまでも一人で格闘しても、この暗闇のトンネルの出口は見つからないのです。

人に尋ねて教えてもらわなくては、出口の場所や出る方法は分からない・・・。そういうことだったようです。

また、時期的にも、「早く、そこを抜け出して、次へ行かなくてはいけない」・・・そういうタイミングだったのだと思います。


旅を計画していた時は、そんな意識は全くなかったのですが、全てが終わった今、「ああ~そういうことだったのか~」と、ものすごく納得しました(笑)。パズルのピースが全てピタッと収まって完成した・・・そんな感じでした。

ああ~良かった。ありがたかった~。

そして、この旅に向かう過程や旅の道中そのものが、まさに「罪悪感を手放す」「心を開放してオープンになる」ための最終試験・・・そんな感じでした。

ここまで計らってくださった神仏に感謝です・・・。


そして、最後に、また東寺に呼ばれて、仏様にお参りしてきました。
参拝して、今の私を見ていただきました。


久しぶり東寺で、キラキラと輝く「光」をたくさん見ました。


厳寒の朝に見える「ダイヤモンドダスト」のように、美しくキラキラと輝く「光」でした。


なんと、この日は(偶然です・・・笑)、東寺の五重塔の特別公開日で、運よく、五重塔の初層(一階部分)の内部を拝観させてもらえました。


この五重塔は、創建以来、四度の焼失を経て、現在は、江戸時代(寛永21年)に建てられたものであり、塔としては五代目なんだそうです。


内部は、心柱を大日如来様に見立てて、その周辺に如来や菩薩を安置し、柱や壁、天井にも様々な絵が描かれていました。

今は、剥落している部分もあり、見にくいところも多いのですが、創建当時は、色鮮やかで美しく、荘厳で素晴らしい内部だったんだろうなぁ・・・と思いました。

壁画には、空海様の絵もありました。


空海様を眺めていたら、胸が熱くなりました。


このとき、「新しい自分が始まるんだなぁ・・・」と実感しました。


その後、京都駅へ徒歩で戻り、駅の売店で夫へのお土産を買って、高速バスに乗り込みました。


帰りのバスの中では、感謝の気持ちでいっぱいでした。
「よく頑張ったよ~自分」と、自分を褒め称えました(笑)。

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この本は、京都駅の本屋で見つけた本です。

何気に手に取り、気になって買ったのですが、読んでみると、今の私が最も知りたかった「具体的な引き寄せのコツ」が書かれた本でした(笑)。


なかなか面白い内容です。これ、さっそく、やってみようと思いました(笑)。


こういう情報を引き寄せるのも、やっぱり「引き寄せ」の法則なのてすよ~。



これの第二巻もあるようなので、是非、読んでみたいと思っています。

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