なんとかなるさ~

Emiko/記録の保存庫

2017年03月

ヒダノサト 033
(何年か前の春の風景。「飛騨の里」から山々を望む。)



今、世の中では、信じられないような事故や事件が起きて、驚くことが連日続いていますが、その中で、私が今、一番心を痛めているのが、山岳部の高校生が巻き込まれた雪崩事故です。


本当に悲惨な事故で、ご家族や関係者の皆様のお気持ちを思うと、胸が痛くて苦しいです。



山って、本当に怖いんですよ。


舐めたら死ぬんですよ・・・。


登山していなくても、山国で生まれ育った者なら、冬の容赦ない厳しさ、雪の怖さ、自然を相手にすることの恐ろしさ・・・等、身に染みてよく分かっています。


山男の皆さんも同じくでしょう?


なのに、どうして・・・。


まだ10代の若い男の子たち、そして20代の青年先生。若い命が犠牲になったこと、悔やまれて仕方がありません。


こんな雪の中で大丈夫なのか?・・・と参加していた高校生たちは不安だったようです。


でも、ベテランの先生、強豪校の顧問の先生が「大丈夫」と言ったのだから・・・と、皆が信じたそうです。


先生が大丈夫、心配ない、と言ってくださったから、きっと大丈夫なんだ・・・と。心根が素直で純真な子供たちだったんでしょうね。


でも、その心配が的中して、雪崩が発生し、多くが生き埋めになりました。



自然というものは、突然、予想を超えたところで、突拍子もないことがバーンと起きるものなので、今回の件も、どうしようもなく仕方が無かったこと・・・なのかもしれません。。






しかし・・・。


どこかに、「慢心」があったのではないか?・・・と思えてなりません。


指導する立場の人たち・指導者のトップに立つ人たちの「慢心」・・・。



危機管理は万全にしておくことは、野外活動の鉄則です。



危機管理は、徹底してやり過ぎるくらいやっておいて「普通」なんです。


できることは全て手を尽くしてやりつくし、その上で当日を迎える・・・。それで初めて安心して活動ができるのです。


やって当たり前、いや、やり過ぎて当たり前・・・それくらいのものです。


しかも、山岳部でしょう?一般的なスポーツ系の部活よりも、安全管理は大変だと思います。


だって、大切なお子さんたちの命を預かるのですから・・・。


平地を歩いて散策する「遠足」のような行事でも、絶対に事故が起きないように・・・と、危機管理・安全対策を徹底させて、丁寧に周到に立案・計画・準備をしていきます。



何か起きても、すぐに的確に対処できるように手配を進めておくことも大切。



途中、天候が悪化したら、延期や中止、予定変更など・・・。そういう決断が柔軟性をもって速やかにできるというのも「指導者に必要な能力」です。



だから、万が一の時には、指導者は、皆の命を預かる立場として、すべての責任を一身に背負って決断します。



そんな厳しさがあるからこそ、行事や活動が安全に実行されてるのです。そして、すべてが無事に終了したところで、初めて「楽しかった行事」となって子供たちの思い出になっていくのです・・・。



そんな基本中の基本・・・。山の中での雪の活動なら尚更だと思います。



でも、どこかに慢心があったのかもしれません。また、大事なところで「ゆるみ」があったのでしょう。



そのゆるみのせいで、判断力が低下し、今回の悲劇に繋がったのかもしれないな・・・と思いました。



今、世の中は、この雪崩事故だけでなく、いろんな業界で、いろんなところで、「慢心」が原因となる問題やトラブルが多発しています。


・・・というか、「慢心」で、適当に済ませてきたツケが、今、目に見える形で世の中に噴出している・・・。そんな気もします。



表ざたになっているんですよ。


隠れて分からなかったものが、今、分かるように表に出てきたのだと思います。


今まで上手くやってこれたから・・・と慢心になり、いい加減な判断で適当に済ませてきたことのツケが、積もりに積もってどうしようもできないくらいに膨らみ、それらが今、決壊したダムの水のようにドバーと溢れ出したのだと思います。


それも、大きな犠牲を払って・・・。



もうね・・・。慢心してた本人が、そのツケを払って一人で責任を背負って苦労ししなきゃいけないのは別に良いんですよ~。



そうじゃなくて、罪のない人たち(子供たち)が巻き込まれ、大人たちの慢心の犠牲になってしまうのが、とても悲しいのです。



世の中、いろんなことが起きますが、それらについて感情移入しても、世の中には何の役にも立ちません・・・。



それよりも、起きた出来事を「反面教師」にして、自分自身を振り返り、見つめ直す・・・。そういう機会にしていかなきゃ・・・と思います。



自分の中にも「慢心」がないだろうか?



慢心しないように、常に「初心」にかえり、小さなことも大切に丁寧に取り組んでいく・・・。


自分が判断したことには責任をもち、常に緊張感を持って「目の前のこと」に真摯に取り組んでいく・・・。



そして、自分の命・人々の命を大切にする。命を守る・・・。



そんなことを心がけながら、まずは自分自身をピリッと引き締めて、日々、誠実にやっていかないといかんなぁ~と思いました。



そして、自分の『慢心』が人を巻き込むかもしれないことを肝に命じて、自分を律し、時には自分を戒めることも必要だなぁ…と思いました。



無事に助かったお子さんたち&先生方が、心身共に回復されることを心から祈っています。

もう二度と、こんな悲しい事故が起きませんように・・・。


そう願っています。




体験談は募集中です。締め切りは明日の3/31(金)・・・日付が4/1に変わるまで~です。まだまだ受け付けます。

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(水仙の芽)



昨日の義母との出来事↓

過去記事『嫌な出来事も、コロッと転換させて「心の糧」に・・・』


これが「きっかけ」となり、また新たに、私の心はつるん~と一皮むけました!



何が剥けたのか?・・・といいますと、ズバリ


「思考」


・・・です。






実は、本音を言うと・・・。


私は、嫁いで同居するようになってから、義母に対して、モヤモヤした感情をもつようになりました。
(結婚前の義母は、私に対して自分の気質を隠して「いい人」を装っていたみたいです。同居して私に慣れてきたら、どんどんブレーキを緩めて、私の前でも堂々と本領発揮するようになりました・・・^_^;)


でも、その嫌悪感・不快感の正体が、なかなか把握できなかったのです。


ただ漠然と、「なんか嫌だなぁ~」「なんか違う気がする」「なんかおかしい」「なんか変・・・」と感じることが多くなり、最後には、義母が近くにいるだけで鳥肌が立つほどの強烈な嫌悪感にまで発展していきました・・・(汗)。



精神的に無理!のレベルなのに、夫の親のことをここまで嫌うのは、人としてダメなんじゃないか?と思い、必死になって我慢してきました。


そして、表面的には「仲良くしてます~」という仮面を被って、今まで義母に合わせてきたんですよ~。



これは、私だけでなく、義父や夫も同様だったみたいで、なんか嫌なんだけど、その「嫌だ」と感じる部分がしっかり分析しきれてなくて、漠然と「嫌だ」と感じていたので、はっきりと義母に向かって「ここが嫌だ」と言いにくかったようです。



しかも、義母はものすごくプライドが高くて、家族のことを自分の下僕のように見下しているところがあって(その代り、外向きにはいい人なんです。内弁慶なんですよ・・・^_^;)、自分が家族の誰かから注意されると、全身で怒りをあらわにして、「自分は悪くない」と保身に走り、どんな助言も注意も跳ね除けて、完全拒絶します。




・・・で、自分が注意されたことを根に持ち、執拗に相手をネチネチネチと憎み続けて、それでも気が収まらないと、今度はまわりの人に陰口や悪口を言いふらして、相手の信用を突き落すようなことを平気でするんですよ~。




これで、自分の立場を保持して、私が家族の中で一番偉い・・・ということを誇示するんですよね~。



だから、下手に意見も出来ないし、注意もできないし、聞く耳をもたないし、何かしでかして逆鱗に触れたり、ご機嫌を損ねるようなことになると、後で自分が酷い目に合わされるのです。



有ること無いこと吹聴して、相手の自尊心をズタズタ傷付けて、こき下ろすことが、相手への報復であり、これをしないと義母の腹が収まらないのです。



これ↑が、本当に怖かったのですよ~。正直、マジで怖かったのです(汗)。



家庭という密室の中で繰り広げられることだから、人に言っても理解してもらえないし、そんな「うちの恥」みたいなこと、とても言えないし、何より、「そこまで姑さんが腹を立てるなんて、嫁がしっりしていないからじゃない?」と言われるのが怖くて・・・ね。



あの「何か悪いモノが憑いてるんじゃないか?」っぽい感じの義母の反応、まわりの人も信じられないみたいで、なかなか理解してもらえないんですよね~。


だから、こっちが黙って辛抱するしかない・・・。そんな状況だったのです。


ちなみに私の実家は、この逆で、父も母も人の悪口や陰口は一切言わない人で、身内にも、人の美点や良い部分しか言わないのです。もちろん、両親は、自分の相方や子供のことを悪く言うなんてことは絶対にしませんでした。


だから、今思えば、当時の私には「免疫」が無かったんです。初心(うぶ)だったんでしょうね(笑)。今なら百戦錬磨でやっつけちゃうけど(笑)、当時の私はまだ20代だから、小娘だったんです・・・。


「人の悪意」の免疫が無いまま、このうちに入っちゃったから、「えっ?えっ?」と自分でも何が起きているのか分からない・・・。本当に大変な毎日でした。



義母は、平気で、義父のいない所で義父の悪口を言いまくり、孫(私たちの子供)が居ない所で、親である私たちに孫の悪口をベラベラ言いまくり(その逆もあり)、夫(義母の息子)の悪口を、嫁の私や子供に言いまくるし・・・と、こんな状況が、普通に毎日繰り広げられていたわけです。


私の悪口も、私の居ない所で、子供にヒーヒーと言いまくっていたみたいだし・・・w。



義母は「自分が正しい・相手が間違っている」という感覚でベラベラと饒舌に言いふらすので、家族は分かっていても、知らない人がその話を聞くと、義母のことを信じて「なんてひどい家族なんだろう」と私たちのことを悪く思い込んでしまうようです。



実際、それで、ありもしない妄想話を広げられて、陰でコソコソと悪く噂されたこともありました。


そんな状況が続いて、思い切って「そういうことは言わないでほしい」と言ったことがありましたが、すると逆上して怒りまくり、「私はそんなこと言っていない!」と言いだし、私に言われたことを全く理解することなく、ただただ「嫁に言われた」という怒りで心がいっぱいになってしまいました(汗)。


その後、ずっと「嫁に意見された」ことで悶々とネガティブに考え続け、腹の虫が収まらなくなり、執拗に私のことを恨み続けるんですよ~。で、その恨みと怒りを発散させるために、「私(義母)は被害者、嫁(私)は姑を責める加害者」という妄想ストーリーを脳内で作り上げて、また、それを身内にベラベラ喋る・・・というわけです。


まさに、ネガティブのスパイラル状態でした・・・(滝汗)


ターゲットが変わると、前のターゲットは解放されるので、これで一安心・・・なんです。


たから、早くターゲットが違う人になってくれればいい・・・それまでジッと我慢・・・。そう義父も夫も辛抱して生きてきたみたいです。



そんな風なので、私が夫に義母のことを初めて正直に打ち明けたときは、(当時の夫は「義母正しい」で洗脳されていましたw)、「母親と上手くやれないお前が悪い!当たり障りなく接して、適当に聞き流しておけばいいんや!」と、ひどく叱られたものですよ~(泣)。



でも、それでもめげずに、根気に義母のことで「感じたこと」「思ったこと」を正直に話し続けていたら、夫はだんだんと義母の気質に気付き始めて、次に「これって異常なの?」と目が覚めてくれて、さらに「そういえば・・・」と自分の心の中にある義母への違和感に気がついて、こうして20年かけて、ようやく、「普通の感覚」「正常な感性」を取り戻すことができたのです。今では私の良き理解者であり共闘者です・・・。



なので、今は、夫とは義母のことも、フラットに何でも話せるし、最近の夫は義母にハッキリと意見を言えるようになったし、、義母がヒーヒーと怒って悪口を言いまくっても、正常な反応をして的確に対応できるようになったし、義母に感情移入せず義母のことを客観的に俯瞰して観察できるようになったし・・・。



私も夫も、義母への対応を通して、本当に精神的に成長させてもらいましたw(笑)。




義母も機嫌が良い時はいいんですが、最初の頃は「機嫌が良い時」と「機嫌が悪い時」の割合は、8対2・・・という感じで、日中のほぼ8割くらいが「ネガティブシンキング」にハマっていたり、人のことを恨んで憎しみを募らせていたり、人を監視してイライラを募らせたりしている・・・そんな感じでした。



でも、義父が亡くなり、この頃は、私たちの影響を受けてか、「機嫌がよくて情緒が安定している時」と「こだわりが強く機嫌が悪い状態の時」の割合が、5対5とか、6対4になり、今までの中ではダントツに調子が良かったのです。




なので、最近は、


私たちの話を素直に聞けるようになったり・・・、


冗談を言っても一緒に笑えるようになったり・・・
(以前は冗談を言っても冗談が通じず、マジギレしてすぐにヒーヒーと怒ってました。だから余計なことは一切言えませんでした・・・w)、



人の陰口・悪口の頻度が減ってきたり・・・、




「嬉しい」「楽しい」「良いなぁ」「可愛い」「素敵」「ありがとう」とポジティブな言葉が言えるようになったり、そういう楽しいHappyな話しが普通にできるようになったり・・・

(以前は、ポジティブで明るい話をすると、嫉妬心がメラメラと燃え上がって、相手の幸せに水を差したがるところがありました。楽しそうな雰囲気をブチ壊すべく、必ず「悪意のツッコミ」を入れて、相手の心を傷付けることを平気で言いまくり、相手がショックを受けるのを見てニヤリと笑って「ドヤ顔」する・・・そういう超イジワル婆さんだったんですよ・・・滝汗)





少しずつ、いい方向へと進みつつあったので、「良かった~良かった~本当に良かったね!」と夫と手を取り合って喜んでいたのです。


でも、昨日、義母の奇行?に久しぶりにブチ当たり、「ああ~そうだった!婆ちゃんって、もともとはこういう性格だったわ~」と思い出しましたよ(笑)。



しかし、久しぶりだったので、以前のように「巻き込まれたくない!」と必死に自己防衛の気持ちが働くことも無く、義母の奴隷になって陰口を黙って聴くこともなく、素の自分でサクッと「自然に感じたこと」と言うことができたのです。



その時、何で今まで言い返せなかったのか?・・・と考えました。




すると、



自分が人から悪く評価されるのが怖かった


という気持ちが強くあったことに気が付きました。



強烈に圧倒的なパワーを持って、自分の主張を「さも真実」のようにベラベラ喋る義母に対して、私は



良い嫁だと認めてほしい

うちの嫁は良い嫁だと人に褒めてほしい




・・・という欲(下心ともいう・・・)があった!ってことです。




それは、結局は、「私を認めてほしい」という承認欲求なんですよね~。



でも、義母と20ウン年間、一緒に暮らして、よ~く分かったことは


この人(義母)は、何処へ行っても、誰と会っても、いつも不満しかない!


ということでした(笑)。


おそらく、世界中探しても、義母が心から満足できるものなんて無いだろう・・・と思います。



最初は良くても、慣れてくると、また「あれはダメだ」「これは気に入らない」と、ブツブツ悪口が始まります。


どんなに心を尽くしていろいろやってあげても、それが誰であっても関係ありません。慣れてくると、ジッと相手の様子を観察して細かくチェックし、気に入らないことをすぐに見つけて「ダメ認定」。ダメだしすると、相手を制した気分になるみたいです。要はマウンティングですよ(汗)、


こうして、このパターンで、いつもの「陰口三昧」の日々が始まる・・・なんですよね・・・^_^;。



これって、もう「そういう性格」なんだから、諦めるしかないんですよ~。そこに「変化」を求めても、義母にしたら、いい迷惑でしょう・・・ね(笑)。



だから、もう、この人に好かれようとか、褒めてもらおうとか、認めてもらおうとか、そういう下心は消した方が良いし、また逆に、この人に陰で悪口を言われても、そんなに気にすることはない・・・。義母の陰口の影響を恐れて、目立たず小さくなって自分を押し殺して生きているなんて、もう止めるべき!



・・・そう思いました。



別に陰で悪口言われてもいいし、それを信じて私たちのことを悪く言う人が出てきても別にかまわないし、嫌われても、憎まれても、恨まれても、執念深くネガティブに執着されても、


別にかまわんよ。どうぞご自由に・・・。


そんな気分に至ったのです。



義母に「認めてほしい」「褒めてほしい」と思う気持ちを捨てて、陰口言われて悪評振り回されても平気だよ~の気分になったら、義母のことが、全然怖くなくなったのです。


悪口を言えば、言った本人が地獄に落ちるだけだから、どうぞ~ご自由に(笑)。


・・・と義母のこととが全く気にならなくなりました。



この「好かれたい」「認めてほしい」「褒めてほしい」・・・という気持ち、これが『思考』だったんですよね~。


本当は、


おいク〇バ〇ア!なに調子こいとるんやっ!シバキ回すぞ~ゴラァ~!


・・・と本心では怒り心頭だったのに(汗)


『思考』は


・良い嫁にならなくては・・・

・夫のお母様なんだから、黙って従わうのが嫁の務め、口答えなんてしてはいなけい・・・

・仲良く良い家庭を築くためには、我慢は必要

・嫁が奴隷になって辛抱すれば、全てが丸く収まり、家庭は安泰。だから私が辛抱しなきゃ・・・

・悪い嫁だと噂が立ったら、私はこの町で生きていけない・・・

・私のことを認めてくれるよう、「いい嫁キャンペーン」?でもっと頑張らなくては・・・


・・・と、カッコつけてたんですよ。


私の『思考』が、私の本心(義母の「身内の陰口を平気で言いまくって貶める」その根性が、私とは全く合わなくて心底嫌だ!)を抑えこみ、それとは真逆の「姑に従い大人しく寄り添ういい嫁」で自分を塗り固めようとしていたんですよ。そして、私をコントロールしていた・・・ということです。



ちなみに、こうした「思考」のもとになるものって、『親の価値観の刷り込み』とか(私の両親は夫婦仲は良いけど、保守的な価値観でガチガチに凝り固まっているところがありました)、『地域の慣習』とか、『社会の通念』とか、『自分の勝手な思い込み』とか。


だいたいが、「これさえ押さえておけば、世間から責められることは無い、これさえやっておけば大丈夫」の安全パイ・・・なんですよね(笑)。



この安全パイをつかって、「思考」は自分をガチガチに縛りつけて、制限をかけてくるのです。


そして、この「安全パイ」は、いつしか『タブー』となって存在感を増していき、自分の言動を厳しくコントロールし始め、更には「いいか?こられのタブーを犯すと、お前はこの娑婆では生きていけなくなるぞ!」と、脅しをかけるのです・・・。



この893まがい?の「思考からの脅し」に気持ちがヒビってしまい、大人しくこじんまりと自分を小さく抑えこみ、「自分の本心」に蓋をして、世間体を気にしながら生きていく・・・に、なっちゃうんだなぁ~と思いました。



そうです。『思考』ですよ!



思考にもいろいろあるけど、世間の常識の枠からはみ出てはいけない・・・という『思考』。
(はみ出るとバッシングを受けるぞ・・・と思考は脅します)



親の言うことを素直に聴いて、世間の常識に従って、出すぎず目立たず生きなくてはいけない・・・という『思考』。
(出過ぎたり目立つと、人から責められたり足を引っ張られるぞ!・・・と思考は脅します)


自分の中にある「タブー」を破らなくても済むように、なんとか回避してごまかすための、いろいろな言い訳。←これも『思考』。



新しい自分に生まれ変わることに対して、恐怖心や不安感が強く在ると、これ以上「恐怖心」を味わわなくても済むように、新しいチャレンジを止めさせようとするんですよ。『思考』がね・・・。
(チャレンジして失敗したら、もう人として生きていけないぞ!・・・と思考は脅します)




脳は、いろんな「言い訳」や「できない理由」を見つけて、それで「チャレンジしないこと」を正当化するわけです。



その時、思考で訴えてきます。

巧妙に訴えてきます。


そうして、「余計なチャレンジなどしないで、いつもと同じパターンの繰り返しで生きていた方が、自分にとっては安全で安心なんだ」と、思考を使って説得してくるのです。


こうして、心躍る感情をクールダウンさせようとする・・・のです。



でも、今回の義母とのことを通して、私の中にある、この「ブレーキとなる思考」に気付き、これが原因で、前へ前進することが阻害されていたんだなぁ~と、改めて気づきました。


大きな発見でした。




自分では分かっていたつもりでしたが、まだ奥に、もっと大事なカラクリが隠されていた、それを発見できた・・・そんな感じです。


私がこうし発見して気づけたので、きっと義母は自分のお役目?を無事に終えて、今後はもう少し落ち着いてくるんじゃないかな?と思います。

(私に気付かせるために、天の采配で、あんなにも「変な気質」で長いこと、ヒーヒーと生きてきたのかもしれません。早く気付いてあげられなくてスマソ・・・・笑)



・・・と、今回も長い話になってしまいましたが(ゴメンナサイ・・・汗)、私のこの気づき体験、もしかしたら他に「情報」として必要な方がいらっしゃるのではないかな?と思い公表しました。






モジャモジャと湧いて出てくる、「思考」を払いのけて、その奥にある、自分の「本心」を探り当てるのです。


自分の足を引っ張り、自分に制限をかけてくる「思考」を払いのけながら、自分の気持ちに正直に生きるのです。



思考を払いのけて、純真な気持ちを見つけていく作業は、まさに「格闘」ですよ(笑)。


日々「格闘」・・・。


でも、それをすることで、「本当の自分」に戻っていけるのだと思います。


思考を外して、自分をさらに自由にする。


自分の心を解き放つ。



今回は、そのための大切な「気づき」でした。




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春先で、季節の変わり目だからかな・・・??



今まで、私たちとの間の「距離感」を良い感じに保ちつつ、明るく仲よく関わり合えていた義母が、先週末より、情緒不安定っぽくなりました。



情緒不安定・・・というより、「元の義母に戻った」という感じです(汗)。



義母は、昔から強迫神経症みたいなところがあって、不安感が募ると、妄想癖が強く出てくるようになり(夫曰く、若い頃からそうだったらしいです)、「自分で勝手に妄想した世界」と「現実の世界」がごちゃまぜになって、それでヒーヒーと一人で勝手にヒートアップして興奮し、家族にイライラや怒りをぶつけるところがあるのですよ~。



おそらく、ちゃんとした所で検査すれば、何らかの障害か何かが見つかるかもしれません。
(介護サーヒスでお世話になっている事業者さんには、義母の気質のことはお伝えして理解してもらっています)




そんな時、義母がいつもやってくれる「迷惑な言動」というのが、


・その場にいない人の悪口や陰口を言いまくる

・仕切りたがる


・・・なんですよ(汗)。


これをやることで、気がまぎれて、自分の中にある強い不安感から意識をそらすことができ、精神が落ち着くみたいです。


ちなみに、どういうことをやってくれるかというと(汗)、その場にいない人のことを、まるでその人が加害者であり自分は被害者だというように、妄想ストーリーを脳内で作りあげて、それをペラペラと誰にも構わず言いまわるんですよ~。


家に居るときに、気が高ぶって、話し相手がいない時は、近い親戚に電話して言いまくって発散するときもありますし・・・ね(汗)。


また、仕切りたがるのも、もともと家族のことを全て把握して知っておかないと気が済まない気質なので、それで仕切ることで、家族のことを監視できるし、家族一人一人の何気ない言動が目について気になることが出てくれば、それが、格好の「悪口ネタ」(発散ツール)になる・・・というわけです。




最近は、穏やかに明るく過ごせていて、こういう変な気質は出てこなかったので、「婆ちゃん、良い人になったみたいで良かった~」と、夫と純真に喜んでいました。



ところが、先週の終わりごろから、まただんだんと「ん?」と感じる言動が多くなり、今朝も、用事で母屋に行ったところ、義母につかまってしまい、義母は私に夫(義母にとっては実の息子)の悪口を言い始めました・・・。



何を言うのかな?と黙って聞いていると、どうも、「(夫が)お菓子の箱を片付けなかった、出しっぱなしにしてちゃんと始末できない」という不満のようでした。


私は知らなかったのですが、夫は休日に母屋に行き、仏間にずっと置きっぱなしだった頂き物のお菓子の箱を開けて、中のものを仕分けして、不要なものは処分する・・・ということをしてくれたようです。


その時、どうも、空になった箱を捨てるのを忘れて放置してたみたいで、そのことを、義母は根に持っていて(粘着質なんですよ~)、「〇〇(夫の名前)は箱をほかりつけていた」「いつも片付けができないからダメなんや!」とブツブツ怒っていました・・・(汗)。



それを、まるで「チクる」みたいな感じで、私にしつこく言いつけてくるんですよ・・・(滝汗)。



以前の私なら、こんな時は、「これで義母の気が済むのなら・・・」とボランティア精神で黙ってウンウンと聞いてあげていましたが、今の私は、そんな人の揚げ足を取るような陰口、もう聞きたくなかったし、同調もしたくなかったので、思わず、



「それって、親のしつけの問題ですよね~(ため息)」


・・・と、呟いてしましました。(やっちゃいました・・・w)



自分でも、自然に口から出てしまい、思わずビックリ・・・^_^;。


すると、普段は「耳が遠くて聞きにくい」とぼやいていた義母が、このときばかりは、私の小さな呟きを敏感に聞きつけたみたいで、呟いてから数秒した後(脳内で理解するのに少し時間がかかったみたいです・・・笑)、



「フギャー!ヒーヒー!


・・・と大興奮して真っ赤に激怒し


「私はちゃんと〇〇(夫の名前)に躾けてきたさ!」


と怒鳴り付けられましたw。





あっはっはっ。もうねぇ~、私はアホらしくて吹き出しそうになりましたよ(笑)。



だって、50代のオッサン(夫)の息子が、「お菓子の箱のお片付けができない」からと、80代後半の婆さまが、ヒーヒーとムキになって怒って、嫁の私に告げ口しているんですよ・・・(爆)。



完全におかしいでしょう?



ご本人は真剣にチクッて、私を味方につけようとしているんでしょうが・・・。



もうね~アホらしくて呆れましたよ



そういうのに引っ掛かって気長に付き合ってあげるのが、心底「嫌!」だと感じました。



ちなみに、夫は、私よりも整理整頓が上手で得意な人なんですよ~。


私の方は、掃除は好きだけど、片付けられない女?なんです(笑)。


整理整頓はどうも苦手・・・


夫は整理整頓は上手で得意なんだけど、日常のことはうっかり忘れやすくて、時々、食べたお菓子のゴミを放置していたり、飲みかけのままコーヒーを放置していたり・・・。そういうこと、よくやらかす人なんですよ~。



でも、こういう癖は、私と結婚した時からずっとあったので、これって、私の責任じゃないっすよ~。(いや、むしろ母ちゃんである義母の責任やろが、ゴラァ~!・・・と思いました)(笑)。



それに私も、パートナーのこと、朝からボロボロに悪く言われて、怒りをぶつけられて、ものすごく嫌な気分なんですよね・・・(汗)。


もう聞きたくない。。。ホント、しみじみそう感じました。



だけど、以前の私は、こうした義母が吐き出す陰口や悪口を黙ってジッと聞いていました。


亡くなった義父もそうだったし、夫もそうしていました。義母は注意して言ってもサッパリ分からない人なので(言うと手におえない状態になる・・・汗)、言うのをみんな諦めていました。


それで、自分たちが陰口や誹謗中傷、妄想からくる嘘話に黙って耐えられる性格になるよう、そう自己改革?せざるを得なかったのです。たとえていえば、生き物たちが、環境汚染の中でも適応して生き抜いていけるよう、突然変異を繰り返しながら、自分の身体を変容させる・・・みたいな感じです。


そのなかに私が嫁入りして加わって、無言の圧力の中で、私もずっと「そうするもの」だと思い込まされて、じっと従ってきました。


今思えば、これって「自分へ虐待」だったなぁ~と思います。



私は、もともと人の悪口を言うのも聞くのも嫌だったんですよ・・・!



そんななか、最近、私の取り組みの成果かな?、義母の精神が落ち着いていて、情緒不安定に陥ることが少なくなり、穏やかで明るい雰囲気になり(普通のお婆ちゃんらしくなった)、「ありがとう」「ごめんな~」が言い合えるようになってきたのですが、今回、もとの義母に戻っちゃって、ちょっとショックでした。



でもね・・・。


心の成長って、「3歩進んで2歩さがる」みたいな感じて、出たり戻ったりしながら緩やかに進んで行くので、今は「2歩さがる時期」?なのかもしれません・・・。


まぁ、でも、久しぶりに義母の情緒不安定にぶち当たり、嫌な気分にはなったけど、それで、自分の気持ちがネガティブに落ち込んで心が傷つくこともなく、あの場で正直に感じたことを言えたので(笑)、良かったなぁ~と思いました。


これって、自分の成長度を確認するための「試験」だったのかもしれません。


時々、こういう「お試し」がくるんですよ~w。



以前の自分と、今の自分、ちがう反応ができて、前のように過敏に反応することなく、ネガティブにも陥らず、明るくヘッチャラな気分で対応できたら、それが「卒業」の合図なのです。



あのあと、クールダウンした義母といろいろ話をして、義母の方から「私に気を使わなくていいから、お互いに気兼ねせず、気楽にやっていこう」と言われました。



私も、これには賛成です




実は、私、自分のいない所で、義母に私の陰口・悪口を言われるのが嫌だったのですよ・・・。


また、そういう話を聞かされるのも嫌・・・。


陰で言われるのも、他人の陰口を聞かされるのも、私自身がダブルに心傷つくので、本当に嫌だったのです。


今度、また、義母がネチネチ言いだしたら、今度は、ハッキリと「陰口を聞かされるのも、言われるのも、嫌なんです。そういうの、私の前では止めてくださいね!」と言おうと思います。


言うというより、「教えてあげる」という感じかな?(笑)


多分、義母は、自分がやっていることが「陰口」「悪口」になっているという自覚が全くないと思うので・・・。


だから、もしも、また人の陰口が始まったら、ちゃんと言ってあげよう~と思います。



そして、私自身、「陰で私の悪口を言われても、別にかまわんで~。言いたきゃ言えば~ご自由に・・・。」で、いちいち傷つかない、怖がらない、強くなる!・・・を心がけようと思いました。


今までの私、ちょっとメンタル弱かったかも(笑)。


あんな年老いた婆さまに、私のいない所でグチグチ私の陰口を言いふらされても、そんなこと気にするな!


そんなちっちゃい事で、私の価値は絶対に下がらない!


堂々と自信を持って生きよ!


・・・そう思いました。



こういう気持ちになれたのは、私にとっては大きな成長!(一年前には怖くて言えなかったしできなかったw)



なので、今は、スッキリと晴れ晴れしい気持ちです。



一瞬、イラッとして嫌~な気分は味わったけども(笑)、でも、その後、自分の気持ちに正直になり、自分の本心を知ることか出来ました。



自分の心の成長を実感することができた貴重な体験でした。




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