なんとかなるさ~

Emiko/記録の保存庫

2016年10月

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今日は雨。

一雨ごとに、寒さが身に染みてきます。


こちらは、今週から石油ストーブを使っています。


朝晩、本当に冷え込むようになりました。


今は季節の移り変わりで、寒暖の差が激しい時・・・。どうぞ、皆様も、お身体に気を付けて、ご自愛なさってくださいね。


無理しないよう、身体を充分に温めてくださいませ。





さて・・・。


「自分を大事にする」
「自分をリスペクトする」



これ↑、とても大事なことなんですが、脳で考えたまま実践すると、とても浅くて薄い「リスペクト」になってしまう危険性があります。




その他にも、

「自分に正直になる」
「素直になる」



これ↑も、今の時代、とても必要な事ですが、自分を掘り下げる作業が中途半端でいい加減だと、大変な勘違いをおこして、路頭に迷うことになりますよ・・・。


どちらも、自分に対して正直になることを、とことん追求してやりきっていかないと、間違った解釈で、トンチンカンな方向に突っ走ってしまうと思います。



自分を見つめる・・・ということは、キラキラときれいな部分だけを抽出することではないのですよ。



自分の中にある『異臭を放ち、ドロドロと醜く汚れたブラックな部分』もしっかり見つめて、精神的に「どん底」までドーンと堕ちることも、必要なことなのですよ・・・。


だって、人間でしょう?


ならば、怒りもあれば憎しみもあり、恨みも嫉妬も、必ずあるはずなんです。


そういう「黒い自分」も素直に認めて、必要な場面では、隠さずちゃんとさらけ出していく・・・。



そういう「腹のくくり」も大事なのです。


プライドが強すぎる人は、すぐに自分を隠して、「良いカッコしぃ」したり、「いい子」を演じたりしますが、それって、単に相手に「承認してほしい」「認めてほしい」「褒めてほしい」の承認欲求です。



そんなことしなくても、素の自分で勝負すればいいのに、良い人を装って、いい子を演じて、それで相手に気に入ってもらい、相手から「愛」や「やさしさ」を引き出そうとする・・・。相手から「仲良し関係」を承認してもらうことを引き出そうとする・・・。


それって、「本当の自分」ではありませんよ~。


作り物の「自分」。


本当の自分はどうしたいのだろう?


そこを突き詰めることが「自分を知る」ということなのです。


この時、邪魔なのが「プライド」と「意地」です。


自分を良く見せようと、プライドを剥き出しにして、意地を出していると、「作り物の自分」を表に出すことになります。


これでは、本当の「心が通い合った信頼できる関係」を結ぶことは無理ですよ。


表向きだけの、適当な、その場を取り繕うだけのお付き合いしかできません。

だって、「作り物の自分」なんですもの・・・。そんなもの、「本当の自分」じゃないのですから、どうやって「この人だ、間違いない」と信頼できるのでしょう(汗)。


「本当の自分」って、これ以上、変えようがなく、これ以上、揺らぐことも無い、唯一の自分・・・なのですよ。


そんな「本当の自分」に、エゴやプライドやコンプレックスが垢のように絡みついていて、それが、「本当の自分」を隠してしまっている・・・そんな感じです。


だから、『プライド』など木端微塵に圧し折られて、『エゴ』も『自尊心』もボロボロに砕け散って、自分を品よく飾っていた「肩書き」や「世間の評価」も身ぐるみ剥がされて、自分の正体を表にされされて、挫折感にノックダウンしたとき、初めて、「素の自分」が浮かび上がってくるのです。



そこまでトコトン、追い詰められ、窮地に追い込まれたこと、ありますか?



あとは「死ぬしかない」・・・それくらい厳しく、奈落の底に突き落とされたこと、ありますか?



もう、みっともなくて恥ずかしくなるほど、ダメダメな自分、ありえない自分、そういうものも通り抜けないと、「自分」は見えてこないのです。

いつも、エゴとプライドで自分を飾って、カッコつけている人は、ここまでボロボロにしないと「素の自分」に戻れないから、だから、時々、神仏は試練や修羅場を与えて、心の垢の大掃除をしてくださるのですよ~。


試練や修羅場、挫折や苦労は、心の垢の大掃除の絶好のチャンスです。とても尊くてありがたいことなのです・・・。

挫折が無くても、最初から「素の自分」のまま明るく陽気に生きている人もいますが、そんな人は、世界の1%くらいですよ(笑)。

多くは、過去世からのカルマも抱えているから、当然、心の垢もたくさんこびりつきやすく、常に、大掃除しなくてはいけない状態です。


そんな感じなので、今までに挫折の経験が無く、苦労から逃げて生きてきた人は、心の大掃除する機会がなく、「素の自分」に辿りつけないかもしれません。



傷つくのが怖いから・・・と、現実から目を背け、クルクル逃げ回っている間は、心の成長も、次へのステップアップもありませんよ~。

傷つくことも、人間なら避けては通れない「人生経験」です。


大切なのは、傷ついても、すぐにその傷を治して、前よりも丈夫に強くなることです。


そのために、傷も必要なものなのですよ・・・。


ネガティブなことから逃げ、痛いことを避け、しんどいことから眼を背けてきたんでは、なんの成長も進歩もありません。


ただ、その辺をウロウロと歩き回っているだけです。









「自分を知る」とは、深く自分を掘り下げる・・・ということです。


地下に埋まっていた「自分の正体」を知る・・・ということです。


人間である以上、光もあれば闇もあります。


心の中を掘り下げていくと、グロくて、エグくて、臭くて、汚い・・・そういうブラックな自分もザクザク出てきますから(汗)、逃げないで、直視して、そこもしっかり「これも自分」と認知しなくては、「本当の自分」は見えてきません。


「素の自分」を知るには、恥ずかしくて顔から火が出るような思いをしたり、もう生きていくのがしんどくなるほど辛い状態を味わったり、そういう精神的な面での「どん底」を体験しないと、そもそも無理なんですよ。




綺麗ごとだけを並べていても、ダメですよ・・・。



汚い世界を知っているから、本当の美しさが分かるのです。


臭いものを体験しているから、何が良い香りなのかを知ることができるのです。


痛い思いをしたからこそ、大切に扱われることの大切さがよく分かるのです。


不幸のどん底を経験したからこそ、幸福とは何ぞや・・・が語れるのです。



痛みや苦しみを体験しなくてはいけない時は、とことん、それらを経験して、人生の糧にしてください。


逃げてはダメです。


そうして「自分の気持ち」を感じ取り、「本当の自分」を見つめてください。



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何か新しいことにチャレンジするとき、必ず出てくるのが「恐怖」です。



この「恐怖」・・・・「怖さ」の正体は何か??と考えたら、おそらくほとんどが



それにチャレンジした場合に、発生するかもしれない「リスク」を、全面的に背負って対処していく『覚悟』が、まだできていない


・・・というところから出てくる感情だと思うのです。



リスクを背負う覚悟


なんだか難しく感じるかもしれませが、案外、身近な事や、ちっちゃい事でも、覚悟ができていない人・・・多いようです。


例えば・・・。



「結婚したいけど、相手に恵まれない」という人がいますが、よ~くその人の心の奥を見てみると、「結婚することによって背負うことになる責任やリスクが怖い、不安、自分には無理!」と、最初から逃げ腰になっている・・・、。そんなケースが多いのですよ(笑)。


結婚してみないと分からないことなのに、相手と出会う前から、

・舅や姑と付き合っていく自信が無い

・同居なんて無理

・子どもができても、ちゃんと育てる自信が無い

・仕事と家事の両立なんてできない

・結婚して自由が奪われるのは嫌

・義両親の介護要員にされるのは嫌

・パートナーが浮気したらどうしよう

・長く続かず、途中で嫌になって離婚するかもしれない

・親から結婚を反対されたらどうしよう

・離婚が面倒くさいから、最初から、結婚しない方がいい



・・・云々。口では「出会がない」と言いつつ、心の奥では、上記のような「悪い状況」をネチネチ妄想して、「こんなリスクの高いもの、したら、自分がつらくなるだけだ・・・」と思い込み、それで「自分には無理」「私にはできない」と諦めてしまっているところがあるのです。



もっとひどい場合だと(汗)、「彼氏が欲しい」「好きな人と出会いたい」「お付き合いしたい」と言っているのに、いざとなると、

・親に反対されるかもしれない

・異性と深い関係(性的)になるのが怖い

・妊娠したらどうしよう

・自分が夢中になりすぎて、束縛したくなったらどうしよう

・相手に飽きられて捨てられたらどうしよう

・万が一、相手がストーカーになったら怖い

・結婚できないのなら、付き合いたくない

・浮気されたらどうしよう

・人に見つかったら、何か言われるかもしれない




・・・等々。おいおい!中学生じゃないんだから・・・(笑)、と思うような部分で、ウジウジ悩んでいる人も、実際には結構多いのですよ~(汗)。


とにかく、リスクを考え過ぎ!なのです。



実際にやってみないと分かんないのに、蓋をあける前から、「あれは嫌」「これはダメ」「こうなったらどうしよう」とウジウジ、ネチネチ・・・いろいろ考え過ぎです。


考え過ぎて、何もしていない・一歩も踏み出していない・手を付けていない・・・というわけです。


それで時間だけが過ぎていき、どんどん年を食ってしまい、恋愛が難しいお年頃に至ってしまった・・・なのですよ(汗)。最近は、男性も女性も、こういう人↑増えてます。



いやいや、恋愛は、頭で考えるものではなく、心で感じて、体で感じるモノですよ!

考えてたら、絶対にできないものが恋愛です。


恋の駆け引き・・・なんて言葉もありますが、駆け引きするより、ドップリ愛につかった方が、私は恋の「勝ち組」だと思います。


ちなみに、古典を読めば、千年むかしの平安時代から、人々の恋愛は「愛欲」と「煩悩」にまみれてドロドロですよ・・・(笑)。でも、愛欲にのめり込んで苦悩と葛藤に苦しみながら、愛を貫いた人たちの方が、とっても人間的(人間臭く?)で、魅力的で、愛おしく感じます。


ドロドロして、葛藤して、苦しんで、悩んで・・・。相手を愛するがゆえに、自分の抑えきれない気持ちと向き合うことで、自分の情感を育て、感性を育み、心を「渋い大人」に成長させることができるのです。



いい女とは、恋に身悶え、愛の苦しみに耐え、葛藤を乗り越えることで生まれるんじゃないかな・・・と私は思います。(ちょっとMっぽいけど・・・汗)


(ここでの「いい女」とは、男にとって都合のいい女ではなく、心が渋く成熟した大人の女・・・という意味です。潔くて、愛情深く、懐も深く、精神的に自立したカッコいい女・・・という意味です。)


昔(平安時代)の日本人は、そのドロドロの中にも、「純真で美しいもの」「キラリと光輝くもの」「温かくて優しいもの」を見出し、それを心で感じ、身体で感じて、その感動を「言葉」にしたためて、書き綴ってきました。


それが、平安時代の才女たちが書き残した小説であり、随筆であり、和歌であり・・・。


また、男性たちも、愛する女性たちへの気持ちを和歌にしています。


リスクを背負っても、重い責任を抱えても、それでも「相手を求めて愛する気持ち」は、絶対に消えません。


そんな情熱をもって相手と向き合ったからこそ、後世の私たちは、彼らが残した文学作品を読み、彼らの純真な感性に心打たれるのです。


時空を超えて、「愛を求める気持ち」は、いつでも共感し合えるのです・・・。


今から千年前・・・といったら、現代よりも、もっと格差社会で、生き抜くのに非常に厳しい時代です。


名門貴族の家柄であっても、少しのことで没落したり、流行病でポックリ死んでしまう・・・そういう時代です。


誰もが平等に「死」を身近なものに感じていた時代・・・。



いつ、生き別れるかわからない時代だからこそ、一生悔いの残らぬよう、一度、炎が灯った「恋」は、最後まで貫き通して成就させて、「愛」を完結させなくてはいけなかったのだと思います。


それだけ、精一杯、真剣に生きてきた・・・そういう時代だったのだと思います。


それを思えば、現代の私たちは、とっても幸せですよ(笑)。


身分違いの恋を貫いて、命を落とす・・・なんてことはありません。


自由恋愛の時代です。


自分で自由に相手を見つけて、添い遂げることができる時代なのですから、もっと自由に楽しまなくてはいけませんよ~。


こんなに自由な社会に生きているのに、いまだ、「親に反対されるかもしれない」とか、「私みたいな人間には結婚なんて無理」とか、「相手と深い関係になるのが怖い」とか、「やっていける自信が無い」とか・・・等々。


そんに自分に「制限」を課さないでくださいね。


親が・・・世間が・・・人が・・・社会が・・・仕事が・・・云々と言っていますが、それは単なるダミーです(笑)。



本当は、自分がただ単に怖いから、自信が無くて怖いから・・・。


それだけです。それで、逃げている口実(言い訳)に、親や世間のことを持ち出しているだけのことですよ。


そんな反対されても、本当に心から惚れた相手なら、一緒に駆け落ちすればいいんですよ!(笑)。



明治・大正時代の社会時事を調べていると、昔の女性は、身分違いの恋や、姦通罪に訴えられる事件、奪略愛など、今よりも、うんと過激で情熱的ですよ・・・。


社会的に「制限」が課せられている時代だからこそ、真実の愛に目覚めてしまった人たちは、その「制限」を越えて、社会的制裁が与えられることも覚悟のうえで、自分の愛を貫いています。


数年前のドラマ「花子とアン」にも、そういう事件がありましたよね・・・。



今よりも、もっと厳しいリスクが付きまとっていた時代に、リスクを背負う覚悟で、恋の炎を燃やした人たちがたくさんいらっしゃるのです。


死んでも良い覚悟で・・・。


それくらい、「自分の本心を貫く」ということは、とても壮絶で、激しくて、険しくて、大変なことなのですよ。



そんな「いばらの道」を歩んでも、きっと人生の最期には、「つらくて大変だったけど、私は自分の気持ちを貫いて、愛に生きて良かった。後悔はない。」と、潔く旅だっていけると思います。


リスクを背負う覚悟をもち、自分の心に正直に生き抜いてきた人たちは、みなさん、とても魅力的です。


そして、波瀾万丈な人生で、とてもドラマチックです。


親から非難されても、世間から後ろ指ささされても、社会からバッシングされても、凛として清々しく「自分」を生きていくこと。


それが、これからはとても大切だと思います。



とにかく、頭で考え過ぎない。


心で感じる・・・。感性で受け止める・・・。


これを心がけてくださいね。



ちなみに、平安時代より、更にさかのぼって、飛鳥時代や奈良時代になると、恋愛はもっと原始的で本能的です。


万葉集を読むと、ものすごく本能的で艶めかしいです。


それを恥じたり隠したりするのではなく、「自分の愛のかたち」として堂々と表現していく・・・。


今より、昔の人たちの方が、とても大らかで、潔く、心豊かだと思います。



大自然の中で、神と共に生き、人間らしく、一生懸命に生き抜いた・・・そんな時代性を感じます。



人間は、もともと「自然の一部分」だったのですから、哺乳類の生き物?らしく、恋愛については、昔の人を見習って、自分の中の「制限」を外して、もっと自由に、おおらかに、本能的に突き進んで良い・・・と私は思います。



せっかくの人生、親の反対や世間体を気にして、「何もしませんでした~」では勿体ないですよ。


お利口さんの「いい子」で居続けるのではなく、自分から、自分の人生をドラマチックに彩ってほしいな・・・と思います。

そのためにも、まずは、、バンジージャンプをするつもりで(笑)、自分の制限を外して、タブーにチャレンジですよ~。




あれは嫌だ、これは気に入らない・・・じゃなくて(笑)、ちゃんと自分の気持ちと向き合ってくださいね。


素直になりましょう。



恋愛は、素直になればなるほど、「心に残る良い恋愛」ができますよ。


ちなみに「恋愛」とは、人間関係において、最も難易度が高い、高レベルの人間関係でもあります。


自己が確立できていて、自己開示もできて、精神的に自立していて、おまけに、コミュニケーション能力が高い人でないと、恋愛は成就しないし、長くは続きません。素敵な恋愛をしたいなら、↑これ必須ですよ~。



そして、何より、ちゃんと自分の個性をもっていて人間的に魅力がある人でないと、相手に関心をもってもらえないのですよ~。


ブスとか、ブサイクとか、スタイルが悪いとか、そういうことはあまり関係なくて(笑)、その人が発している「エネルギー」が大事です。そして「心」。


恋愛ができる準備が整っているのなら、リスクや責任を背負う覚悟ももちましょう。


傷つくことも、悲しむことも、恋には「つきもの」なんですから、傷つく覚悟も、号泣する覚悟も、しっかりもたなくてはいけません。


その上で、相手に「一緒に居たい、また会いたい」と思ってもらえる自分になるよう、自分を魅力的に磨いてくださいね。



そういう努力も大切なのですよ~。


覚悟と努力。



これは、人間活動の全てにおいて必要で大切なことですが、恋愛においても、感性を磨き、自分に正直になる・・・という点で、とても大事です。



ボケーとただ待っているだけでは、何も得られないのです・・・。




※ただし、以上のこと↑は、年齢問わずフリーの人たちの恋愛についての私の見解です。「不倫」は別問題です。
「不倫」については、機会があれば、また別のトピックでお話しますね・・・。

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先週末、私は、自分の心の中にまだ残っていた「消化できていない記憶と感情」を手放しました。



随分と「心の断捨離」は進んだはずですが、それでも、私も人間です。


出しても出しても、まだまだ、いろんなものを隠し持っています(笑)。



これらを手放していくことは、随分慣れてきましたが、それでも大変な作業です。


もちろん、こういうことって、そんな簡単に手放せるものではなく、本当に本当に難産でした。



ヘトヘトになりながら、でも、今このタイミングで手放さないといけないことは分かっていたので、勇気を出して、心に巣食っていた病巣部をえぐり出すようにして、すべてをさらけ出し、身を切る覚悟で、全部を吐き出しました。


こういう作業は、「きれいごと」では済みません。



本当に「出産」と同じです。「生みの苦しみ」を味わいつつ、自分の秘部をさらすようにして、自分から剥ぎ取って、出していくのです・・・。



・・・というと、とってもグロくてエグい感じがしますが(汗)、でも、今までずっと心に溜めていた「コンプレックス」や「過去のトラウマ」を人に打ち明ける時って、こんな感じ↑ではありませんか?



これらを、ずっと口外せず、ひたすら心に溜め続けているから、自分の心の奥の「大事な部分」が、どんどん歪んでいき、曲がっていき、違った方向へと伸びてしまうのです。


そして、エゴとプライドという垢がこびりついて、どんどん薄汚れていくのです。



ならば、思い切って、大掃除しなくてはいけません。



心の中に、いつまでも「子供時代のトラウマ」や「コンプレックス」を抱えていないで、そういうものは、早く手放して、心の中を空っぽにしておくことが大事です。



そうしないと、本来なら自分の心にまっすぐに入ってくるはずの「真理」や「哲学」が、スペースが無いため心の中にスーと入れない状態になるのです。


そして、いつまでも、心の奥にこびりついていた「過去の記憶と感情」が腐臭を放って、心の中で大きくなり、それらが心の大切な場所を占拠するため、自分のピュアな「本当の気持ち」が自由に働くことができなくなる・・・そんな状況に陥るのです。



多くの人は、心の奥に「トラウマ」や「コンプレックス」や、その他「ネガティブな過去の記憶や感情」を抱えており、、それらが心の中で強い影響力を発揮して、正しい判断ができなくなる要因となっています。



そういうものを抱えながら生きていくことも可能ですが、自分を取り戻して、明るく楽しく生きていけるようになるには、やはり、自分のコンプレックスは、「隠す」のではなく「オープン」にして、陽の光の下に晒していくことが大切だと思います。



それには、まずは、「自分には、こういうコンプレックスがあるのだ・・・」ということを素直に認めて、そういうものを抱えている自分を肯定的に受け入れること・・・だと思います。



肯定的に受け入れたら、今度は、「陽の光の下に晒す」という意味で、信頼できる人に、自分の言葉で「抱えているコンプレックス」について赤裸々に語ってしまう・・・ことです。



「話す」ということは、自分が「抱えているもの」を受容して乗り越えた人しかできないことです。




ということは、「話す」ことができれば、「抱えているもの」を吐き出したことになり、それで、ほんとうに心が楽になるのです。



多くの人は、この「自分のコンプレックス」を口に出すことが、なかなか出来ません。


怖かったり、恥ずかしかったりして、その恐怖心から、口に出せずに、ずっと心の中に収めているのです。


でも、思い切って勇気を出して、信頼できる人に言ってしまうと、自分だけの秘密だった『コンプレックス』が、秘密じゃなくなっちゃうのです。



秘密だったものを、自分以外の人が知ってくれている・・・。


これって、とても大きな「心の解放」になります~。


おそらく、口に出して打ち上げるまでが「葛藤」で苦しいのでしょうが、口から言葉にして出してしまったところから、自分の悩みをシェアして知ってくれる人が現れたことになるので、とても心強いし、気持ちも軽くなり、楽になります。




それに、自分のコンプレックスを解消する方法を教えてくれたり、コンプレックスを魅力に替えていくアドバイスをしてくれたり、自分に有益な情報も、「打ち明ける」ことによって、巡ってくるようになります。


要は、勇気を出して言葉で打ち明けることで、


心の風通しを良くして、自分の思いを循環させる


ことができるようになった・・・ということです。



それまでは、「停滞」した状態でしたが、思い切って言うことで、悩みを分かち合い、どんどん「循環」していく・・・。こんなふうに「流れ」が生み出されるのです。


だから、私は、コンプレックスやトラウマは、ある程度、自分の心の中に置いて、じっくり悩んだり、葛藤したり、苦しんだりできたら、次は、手放す作業ヘと切り替えていくことが大切だと思います。



苦しんだり、悩んだり、困ったり、泣いたり、葛藤したり・・・等、ということも、大切な「心の経験」です。



悩みを抱えつつも、コツコツと日々のことに真摯に取り組んでいると、心がどんどん熟成されて、「渋みと深みのある心」になるのですよ~。


心に「秘めたもの」を抱えつつ、何かについてジックリ考え、出口を追い求め続けていくことが、自分の人生哲学を構築することへと繋がっていきます。


だから、悩んだり、葛藤することも、人として必要。


そう割り切って、悩みがある時は、グルグル悩んでいる状態を楽しんで経験することです。



そうして、充分に悩みきって、これ以上は何も答えがでないところまで至ったら、ここで、悩むことをスパッと止めるのです。

煮詰まってしまったら、開き直って、「もう、これでいいやー!悩むの止めた~。」と思い立ち、キリの良いところで「手放す」「流す」「切り捨てる」「割り切る」にサクッと切り替えてください。



今度は、現実路線に戻って、とりあえず「解決」しましょう。


ここでの「解決」とは、自分の心がそのことでネチネチ悩むことが、一切無くなるように、何かの具体的な手立てを打つ・・・ということです。


「人に打ち明けて話す」ことでコンプレックスが克服できるのなら、それをサクッと実行して、早く「悩まない自分」にしてあげる・・・ということです。



私も、まだ心の奥に残っていたものがあって、それを、先日、手放しました。


私の場合は、夫が聞き役です。


お互いに、いろんな思いや記憶を話し合って、二人でいろんなものを手放してきましたが、今度は「わたし」の記憶と感情を受け止めてもらいました。


夫のお蔭で、私はクリアになりました。


本当に感謝感謝です・・・。


私たちの場合は、結婚したパートナーが、「信頼できる人物」となり、お互いに何でも話し合って、聞いてもらって、二人で心に溜まった「いろいろなもの」を成仏させてきました。


こうして、二人でどんどんクリアになりつつあります。


結婚について否定的な人もいますが、よく理解しあっている分、お互いに「カウンセラー」のような関わり合いができて、そっと寄り添えるので、とても便利ですよ~。私は、とても良かった・・・と思っています。



こうして、クリアになっても、また、何かが出てきて、また新しい「手放し」をしなくてはいけなくなります。


これを、生きている間は、永遠にやりつづけなければいけません・・・。


これが「人として生きる」ということなのだと思います。



前世も含めて人として長く生きている魂ならば、当然、いろんなものが澱(おり)となって溜まっています。


それを見つけるたびに、すくい上げ、取り出して、手放していく・・・。



それは、まるでドブ川の掃除のように・・・。


汚水の中に足を入れて、手で底に溜まったヘドロをすくい上げ、道端にあげて、掃除をしていくような・・・そんな感じです。

だから、「きれいごと」では済まないことなのですよ~。


ドロドロに汚れながら、汚水や腐臭に負けないで、根気にすくい上げていく作業・・・。


これをしていくことで、自分の心をピュアな状態に戻していくのです。




ですので、自分を見つめ、自分と向き合う作業を嫌がらず、しっかり取り組んでみてください。


慣れていないと、とても辛くて苦しいですが、やりつけていくと、とっても楽しく心地よくなっていきますよ・・・(笑)。




ボランティア活動と一緒です。



最初は嫌々でも、やりつけると、今までにない「喜び」や「充実感」を感じるようになり、それが心地よくてヤル気がでてきて、気が付くと、ワクワクしながら楽しんで取り組むようになった・・・みたいな感じです(笑)。



人のため・・・といいつつ、結局は「自分自身」のため・・・。


自分の魂か喜ぶから、それでしている・・・。そういう感じです。



この10月の間に、どんどん手放していってくださいね。



ちなみに、信頼できる人がいない・・・という人は、そういう人間関係しか自分は持っていなかったのだ・・・と、自分自身の「気づき」に結び付けてください。



ドロドロしたものを吐き出しても、絶対、自分を嫌わない、愛してくれる、自分を信頼してくれる・・・。そういう人を、この人生で一人はちゃんと確保してくださいね・・・。


別に人生のパートナーでなくても、信頼できる友でもいいのです。


自分の親や、仕事の上司、ご近所の御隠居さん・・・等。



あなたが安心して信頼して、「話せる人」・・・。話した後に、ちゃんと受け止めてくれて、哲学的な見解を語ってくれる人・・・。そういう人を、身近にちゃんと持ちましょうね。


それには、まずは、あなた自身が相手に心を開いて、オープンになって、自分をちゃんと出していくことを実践しなくてはいけません。


素直な人のところに、素直な人が集まります。


信頼できる人のところに、信頼できる仲間が集まります。


すべては、自分が引き寄せているのです。


素直な心になって、自分を見つめ、人と関わり、自分の思いを循環させて、風通しのいい人になってくださいね。








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