なんとかなるさ~

Emiko/記録の保存庫

2015年08月

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(雨上がりの街なみ)


老人介護について思うこと。


介護する家族にとって、介護は、「罪悪感を持たないための修行」だなぁ・・・と思います。

また、介護されるお年寄りにとっては、介護とは、「最後のお徳積みのための修行」だと思います。



家族にとっての修行・・・「罪悪感を持たない」について。


老人介護というと、今でも、「在宅で、女性が犠牲になって、自分の全てを投げ出して世話をするもの」という価値観が日本には根強く残っています。

でも、今の社会状況だと、未婚の男女が増え、年寄り世帯も増え、家族の構成員が昔と大きく違ってきたこともあり、昔の価値観で「介護は女子供の仕事」なんて言ってられないのです。男も女も関係ありません。また、老老介護という言葉も出てきたくらいで、自分も高齢者となっても、大切な家族を看なくてはいけない状況も出てきます。

男だからとか、女なんだから・・・なんてことは、もう通用しない時代に突入したのです。


男であっても、自分の親や妻を介護しなくてはいけないのです。

また、女性だからと、すべてを背負う必要もありません。

今の日本は、状況や状態に合わせて、介護保険制度をいろいろと利用できる時代になったので、一人で抱え込まないで、もっとオープンになって、いろんな人や様々なサービスに助けてもらうことだと思います。

「分かち合う」ことが、大きなテーマになると思います。


家族の中で分かち合い、社会と分かち合う。
皆で助け合っていく・・・そういうスタイルに移行してます。

人々の意識も、「分かち合う」という方向で、どんどんアップデートしていくことが必要です。

自分にできることをどんどんシェアして、みんなで乗り越えていく・・・。そんなスタイルが「成功例」となっていくと思います。


ですので、超高齢化社会に突入した現在、「施設の世話になるのは恥ずかしい」とか「ヘルパーさんに世話してもらうのは世間体が悪い」とか、そんな頑固で意固地なとを言っている方が、もう恥ずかしい時代なのですよ~(笑)。


だって、ご近所を見渡しても、みんな高齢者ばかりじゃないですか・・・(笑)。

ご近所の皆さん、ほとんどが老人なんだし(笑)、今や、60歳以上の老人がいない家庭は無いくらいなんだし(お年寄りがいない家庭でも、ここ数年の間に家族や親せきの老人を見送った・・・という家が多いと思います)、周囲は、みんな「足腰が痛くて動けない」とか「認知症が入って少しボケてる」とか・・・そんな具合の悪い年寄りばかりなのですよ~。

だから、恥ずかしがっていないで、堂々と、介護サービスの世話になり、いろんな人に関わってもらって、みんなで爺ちゃん婆ちゃんを看てもらうことです・・・。それが、ある意味、「社会貢献」でもあると思うのです。


後で、老人の「徳積み」のところでも説明しますが、介護職に就いている人達は、仕事を通して、社会貢献をしています。介護の仕事に就いている方々は、お年寄りの介護をすることで、仕事を通して「徳積み」をしているのです。


身体の具合の悪いお年寄りに関わり、いろいろと世話をする・・・ということを通して、介護職の皆さんは、社会に貢献し、自分たちの愛のエネルギーを循環させ、仕事を通して、「徳積み」をしているのです。

だから、介護職の皆さんに、「恥ずかしい」とか「申し訳ない」とか「後ろめたい」とか、変にネガティブな感情を持つ必要はありません。

それよりも、介護職の方々が気持ちよく仕事をしてくださるように、家族の皆さんは、サポートしてほしいと思います。

担当のスタッフの方に、爺ちゃん婆ちゃんのことについて、包み隠さず正しい情報を伝えて、よりよく知ってもらうように努力するとか、何か分からない事や気づいたことがあれば、遠慮しないで正直に打ち明けて、誤解や分からないことを解消する努力をしたり・・・等。

また、担当の方にしてもらったことで「嬉しかったこと」「良かったこと」があれば、素直に「ありがとう」と伝えたり・・・。

そんな風に、身体が上手く動かず、コミュニケーションもうまく出来ないお爺ちゃんお婆ちゃんの間に入って、心を通わせて、介護職の方が気持ちよくお仕事ができるように、心を配ってください。

その「心を配る」ところに、愛と癒しのエネルギーが流れていきます。


担当のスタッフと家族の関係が良好になれば、自然と、介護もうまくいきます。良い流れが生まれて、ますます「お浄土」のような介護の現場へと昇華していきます。


家族で抱え込まずに、オープンになって、いろんな人に、正直に事実を伝えて、正しく理解してもらい、よりよく介護してもらえるように、コミュニケーションを上手に行ってください。

そして、自分の中にある「怖い」とか「恥ずかしい」とか「罪悪感」とか「自分を責める気持ち」とか・・・等。そうしたネガティブな感情を一つ一つ見つめて、それらを克服してくださいね。


介護をしていると、もう、綺麗ごとなんて言ってられないと思います。

世間体を良くして、見栄えよく自分を飾る・・・なんてことも無理になると思います。


もう、本音・直球勝負・・・しか通用しなくなるのです。変に自分を飾り立てて、カッコつけていると、ますます自分の首を絞めることになります。

「つらい」のにら「つらいです」。「苦しい」なら「苦しいです」・・・と、正直に自分の気持ちもケアマネさんに打ち明けて、その上で、自分にとっても年寄りにとってもベストな方法を探してもらうことだと思います。


オープンになって、隠し事をしないで、どんどん公表し、自分に正直になっていく・・・。

これが、介護する側の「家族」の修行です。


こうして、年寄りの介護を通して、自分自身のエゴやプライドも削ぎ落として、サッパリと正直者の自分になってくださいね~。

次に、介護されるお年寄りにとっての修行・・・「徳積みの修行」について。

今のお年寄りの多くは、人の世話を焼くのは好きだけど、人の世話になるのは嫌だ・・・という価値観の人が多いように思います。とくに、高度経済成長期に、第一線で活躍された方ほど、プライドが高くて、自尊心も強く、「人の世話になる」ことは屈辱だと感じる人が多いようです。


でも、老化とともに身体機能が落ちていけば、嫌でも、若い世代の人たちの厄介になって、世話をしてもらう立場になっていきます。


このとき、実は、「自分の我執を取り払って、清らかで明るく軽い心になる」というのが、最初の「修行」になります。

もう、以前のように身体が動かない・・・という事実を受け入れて、プライドやエゴも捨て去って、空っぽの心になって、素直に気持ちで「世話をして下さる人の『愛』を受け取る」・・・そういう「心」に、自分を作り替えていくことが必要になります。


現役時代の元気なうちに、↑のようなエゴやフライドを捨てて、明るくサッパリとした軽い心になっていれば、あとはとてもスムーズに流れていくのですが、多くの年寄りは、エゴとプライドを強く握りしめたまま老人になってしまっているので、まず、ここが第一関門・・・。ここで、そうとう苦労するのです。


だけど、もうすぐ人生を閉じる時期に来たのであれば、もう、こうした我執は捨て去っておかないと、お迎えが来ても、一緒にお浄土に行けないのですよ~。


これは、セッションのとき、仏縁のある方にはよくお話することなのですが、仏界って、とても明るくて陽気で楽しくて、エゴもプライドもない、心がツルッツルでピカピカなところなのですよ~。エゴもプライドもないから、カラッと軽くて、とにかく明るい。陽気で朗らかな世界なのです。


なので、生きている人でも、心が菩薩や如来の域に達している方は、とにかく明るくて、サッパリと軽快で、陽気で、一緒にいると自然と笑顔になって、ネチネチと執念深く人を恨んでいるのがアホらしくなるくらい、「明るさパワー」が強烈なのですよ・・・(笑)。


エゴもプライドもないから、変に威張るところもないし、人を見下すところもないし、誰に対しても、いつでも何処でも「陽気で、明るくて、楽しくて、軽快」なのです。そういう心の持ち主なのです・・・。

というのも、菩薩も如来も、仏界自体がそういうエネルギーだから、そういう心の持ち主でないと、仏界の仲間に入れないのですよ~。


だから、死ぬまでに、出来るだけ、エゴやプライドは削ぎ落として、できるだけ身軽になったほうが良いです。


臨終の時に、阿弥陀様と二十五菩薩様がお迎えにいらっしゃるようですが、そのとき、エゴもプライドもそのままだと、重すぎて、とてもお浄土へ連れて行くことができないのです。


そのための、最後の修行として、老化によって、脳や身体の機能が落ちて、「他人の世話になる」という体験を積まなくてはいけないのだと思います。


しかし、日本の場合、多くのワガママ老人たちは、家族が相手だと、世話をしてももらっていながら、それでも偉そうに威張って、踏ん反り返っていて、感謝の心が芽生えない・・・という人も多いので(笑)、だから、神仏は「介護保険制度」というものをお作りになり、他人の世話になる・・・という経験を積ませるようにされたのだと思います。

だから、まずは「社会の世話になる」という経験をすることで、エゴやプライドを剥ぎ取って、真っ新で素直な気持ちになること・・・。これが第一の修行です。

そして、次に、自分の世話をしてもらう・・・ということは、世話をしてくれる人に対して「徳積みの機会を与えている」ということになります。


分かりやすく説明すると、介護職の若い女性が、入所しているお爺さんの介護を担当していて、そのお爺さんの世話を心を込めていている・・・としたら、その女性は、お爺さんの世話をすることで「徳積み」をさせてもらっている・・・ということになります。

そして、一方のお爺さんは、自分の世話をしてもらうことで、その女性に「徳積みのための機会を与えている」ということになるのです。

自分の世話をしてもらうことで、相手に、徳を積ませてあげる・・・。実は、これも、尊い修行なのですよ~。

介護職の方が、「今日も頑張った。いい仕事ができた~」と充実感を味わえるほど、仕事を通してたくさんの「徳」を積んだことになります。仕事を通して社会貢献をし、人々のお役に立てたのです。つまり、神仏の御手伝いができた・・・ということに繋がります。


そして、その介護職の人が「徳積み」できたのは、世話をさせてくれたお年寄りが居たからこそ・・・。だから、徳を積ませた老人も、「若い人たちに徳を積ませてあげた」ということで、老人にとっても「徳積み」になる・・・というわけです。

世話をする、世話をしてもらう・・・。お互いの間に「感謝」と「愛」が通っていれば、それは、お互いにとって「徳積み」になるのです。介護職の人も「自分に世話をさせてくださり、ありがとうございます」と感謝の気持ちで接し、老人も「世話をしてくれてありがとう」と感謝の気持ちを持てれば、二人の間に「慈愛」のエネルギーが生まれ、それが、その場を浄化して清め、ますます素晴らしい環境になっていきます。


こうして、「徳積み」はどんどん進んでいくのです。


留まることなく、どんどん大きく広がっていくのです。


そんな心の境地に至ることが、介護を受ける側の「年寄り」の修行です。


「恥ずかしい」とか「嫌だ」とか「みっともない」とか「世間体が悪い」とか、そういう感情をどんどん削ぎ落として、こうした感情の根っこになる「ネガティブな心」を手放して、身軽になり、軽くなり、明るくなって、最後には、我執を全て取り去って、生まれた時の純真な「心」に戻って、この世を去っていく・・・。これが、年寄りに課せられた最後の修行だと思います。



だから、年寄りは、家族だけでなく、たくさんの人に関わってもらって、いろんな人の世話になって、たくさんの人に「ありがとう」「ありがとう」と感謝の言葉を言うたら、最高にベストなのですよ~。


「ありがとう」の数だけ、「ありがとう」の気持ちを送った人の数だけ、徳がたくさん積まれていくと思います。


だから、家の中だけに閉じこもっていないで、いろんな施設やサービスを体験して、そこで、たくさんの若い人たちと出会い、世話をしてもらって、「ありがとう」と言えた方が、とても幸せなのです。


子どもだって、ママと二人っきりで家の中に閉じこもるより、いろんな人と出会って、たくさんの人から愛をもらい、可愛がってもらって、たくさんの人に見守られて育った方が、良い子に育つでしょう?・・・それと一緒です。

だから、罪悪感を持たないように・・・。


いろんな人に関わってもらう・・・ということは、多くの人に「徳積み」の機会を与えているのだと思い、喜んでサービスを受け入れて、おおいに関わってもらうようにしてくださいね。


そして、誰か一人が犠牲になるのではなく、また、誰が一人が得するのではなく、みんなが平等に「幸せ」で「楽しく」感じられるように、皆でコミュニケーションを密にして、「慈愛のエネルギー」を生み出して、皆にとっての「徳積み」になるように・・・そう実践してほしいと思います。


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(雨で、宮川の水が増水していました)


暑かった8月も今日でおしまい・・・

皆さまも、この夏は、それぞれの持ち場持ち場で、大いに頑張られたと思います。

なので、今夜は、この夏の労をねぎらい、ご自分を大いに褒めて、癒してあげてくださいね~。

そして、明日から始まる9月にそなえて、じっくりと今後の方向について思案されると良いと思います。


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これからのこと・・・。

自分が、今、どういう決断をして、どう行動するかで、未来も二転三転する・・・そんな感じです(笑)。

逃げれば、逃げただけの結果を手に入れるだけだし、果敢にアタックすれば、アタックしただけの成果が得られる・・・。そんな「非常にわかりやすい未来」が、9月から展開していくように感じます。


開運したければ、開運にふさわしい「心の持ち方」になり、開運に向けて、実際に行動してやってみる・・・。

やればやっただけの「結果」が出てくる・・・。ただそれだけのことのようです(笑)。

これからは、「何かをして、失敗した」じゃなくて、「何もしないから、何も得られない」になっていくと思います。


失敗してもいいから、果敢にアタックし、果敢にチャレンジをしていく・・・。それしか、自分の人生を切り開くことはできなくなると思います。


何もしない人は、その場で、じっと「置いてけぼり」になると思います。


とにかく前へ行くことです。失敗を恐れないで、孤立無援になっても良い覚悟で、突撃して、チャレンジして、アタックして、切り開いて下さい。


これは、人間関係についても然りです。


もういい加減、行動すべきだと思います。

「相手と向き合うのが怖いから、第3者に相談する」というのは、俯瞰して見ると「何もしていない」のと同じです。


第3者ではなく、目の前の相手に向かって、自分の気持ちを正直に伝えてください。←これが「果敢にアタックする」ということです。


これをしないで、相手と向き合わないで、その周辺をウロウロしているのは、なんの解決策にもなりません。

ちゃんと、目の前の相手と向き合い、自分の意見を正直に言って、相手の心に「一石を投じる」ことをしてください。そうでないと、今の状況を打破することは出来ません。

この夏、果敢に、自分の苦手とするものに向き合い、果敢にアタックし、チャレンジし続けた人は、この秋は「実りの秋」になると思います。

この夏、苦労して育ててきたことです。自信をもって、感謝の気持ちで、その「実り」を手に取ってくださいね。


・・・こんな感じで、果敢にアタックした人々と、何もしないでウロウロしているだけ人達とで、大きな差が出てくると感じます。


先へ進む人は、振り返ることなく、どんどん進んでください。

立ち止まらないで、流れに乗って、どんどん先へと進んでくださいね。

自分に集中して、自分のために、そのエネルギーを使ってください。





この夏、私の心をわしづかみにした曲。くるり「Liberty & Gravity」
際どいギリギリの紙一重のアンバランスさに、ハートを根こそぎ、持っていかれました~(笑)。


くるり「奇跡」


激動の8月だったけど、なんとか無事に月末を迎えられました・・・。


今は、↑な気分です・・・本当に「奇跡」な日々でした。


夏の名残を感じながら、この一カ月に経験したことの「大きさ」を、一人、噛みしめています。



今まで見失っていた「自分」を取り戻し、今まで忘れていた「自分」を思い出し、今「自分」が居る場所を確認して、これからの新しい「自分」の方向性を見据えていく・・・そんな過程も経験した、今年の8月でした。


もう、遠い昔のような気がするのですが(笑)、この8月の初めに、私は東京を旅しているのです。


その旅で、実は、私はウイリアム・レーネンさんのウェッブセッションを受けたのでした。


レーネンさんのイベントにはいろいろと参加してきたのですが、個人セッションは初めてでした。


ずっと憧れていたのですが、なかなかタイミングが合わず、また、私自身も心の準備ができていなくて、ズルズル~と今まで「保留」にしてきました。


だけど、家族の介護問題が出てきて、人の一生について考える機会が増えていき、その中でふと、「そういえばレーネンさんもご高齢で、いつどうなるのか分からない状況なのだ・・・」とハッと気付き、「お互いに、今世を生きているうちに、今、お会いして、直接、お話が聴きたい」・・・と思いました。


お互いに現世を「肉体」を持って生きている今のうちに、後悔の無いように、今のうちにちゃんとお会いしておかなくては・・・と思ったのです。


こうして、東京へ向かい、(ネットを通してですが)お会いして、私についてのお話を聞かせていただき、私は「セッションを受けて本当に良かった」と心から思いました。


私のこれからのこと、未来の可能性を、具体的にアドバイスしていただきました。


そして、私も見失っていた「私自身のこと」を、レーネンさんは教えてくださいました。


そのなかで、私は、とてもヒーリングエネルギーが強く、私のようなエネルギーを持つ人は、スピリチュアルの仕事をするのが普通だと言われました。


私の今までの魂の歴史も見抜かれて、今までの努力の足跡を褒めてくださり、生まれる前から、私はヒーラーとして生きてきた魂であり、今も、スピの仕事に就く前から、もうすでに多くの人を助けて導いていることも、ちゃんと気付いて知って下さっていました。


そのお話の中で、私が心を打たれたことは、「本当のヒーリングとは、その人の魂の目的が何であるかに気付かせることです。」というお話てす。


身体を癒したり、病気を治したり・・・等、目に見える形で「結果」が現れることだけがヒーリングではなく、その人に「カルマ」や「人生の問題」が多くあるとしても、私が発するエネルギーが巡り巡って、その人に作用し、その人が「自分の状況を受け入れられるようになること」・・・これも大切なヒーリングなのです・・・と。


私のヒーリングエネルギーは、人間の眼から見えにくく、「結果」が分からないものであるけど、でも、私は宇宙から必要とされる仕事をしているのだから、自信を持つことです。あなたは、とても大切な仕事をしているのです。・・・と。


確かに、私自身、私と出会って、私とご縁が結ばれた人は、皆さん、「自分の潜在意識が欲していること」に気付き、そこへと向かって行かれます。

私と出会ったことで、私のエネルギーに触れて、その結果、その人が抱えている「パンドラの箱」の扉が開かれて、どんどん運気の流れが変わっていきます。恐ろしく強烈なエネルギーでゴイゴイと背中を押されるようにして、変化の波へ飲み込まれていくのです。

そして、変化を遂げて、「新しい自分」へと生まれ変わります。

その途中で、「膿だし」みたいなこともあって、しんどい思いをしたり、苦しい状態をくぐり抜けたり・・・等、「好転反応」みたいな感じで、そこをくぐり抜けるまでが、ちょっぴり苦労を伴って大変なのです。でも、少し辛抱すれば、ちゃんとその先に「幸福」や「平安」があるのです・・・。少しだけ辛抱して頑張って通り抜けてくれれば、ちゃんと「正しい方向」へ導かれていくのです。


でも、自分にとって「心地よくて楽な状態」だけを求めている人だと、この生まれ変わりの「陣痛」や「出産」のような苦しみに耐え切れなくて、私のエネルギーに触れたことを「悪く」受け止めたり、私の影響だと気づかず、他に助けを求めたり・・・等。


なかなかその人が求めている「期待する結果」が出ないので(笑)、気が付くと、私ではなく、その人に対して優しく接してくれた「他の人」のお蔭・・・になってしまっているのですよ~(笑)。


別に、人から感謝されて崇め奉られることを期待して、コツコツ頑張っているわけではないので(笑)、その人が、結果的に「より良い自分に成長する」ことができれば、それでいいのですが~。


でも、ちゃんと「人の本質を正しく見抜ける人」でないと、私がしていることの「価値」に気付いてもらえないので(笑)、そこで私はずっと迷いを感じていたのです。

これで本当に良いのかどうか・・・自分でも、なんだか分からなくなっていました。もしも間違っているのなら、ちゃんと自分を正してほしい・・・と思っていました。


それで、レーネンさんに教えを乞うたのです。

でも、レーネンさんは、それでよいと太鼓判を押してくださいました。
何度も「good!」と言ってくださり、今の私のスタイルについても、「とても賢い選択だと思います」と褒めてくださいました。


この時、パブリックパーソナリティとプライベートパーソナリティの分け方について、「ああ~そういうことだったのか~」と納得しました。今、自分がしているスタイルが、まさに、パブリックとプライベートの理想的な分別だったのです。


自分では潜在的に「恐怖」を感じて、周囲に知られないように隠していたことが、実は「上手で賢い分別」だったのです・・・。「怖い」という感情が、周囲のゴシップから自分を守っていたのです・・・。


これも、一種の「直感力」なのだなぁ~と、とても勉強になりました。


直感が、「恐怖」という形で、私に保身の行動をとらせ、それが結果的に、プライベートとパブリックをキッチリ分けることへと繋がったのです。


そして、今、私がしていることが、今後、大きく発展していき、どんどん大きく広がっていくことを教えてもらいました。


自分でも、うっすらと感じ取っていた「自分の未来」を、レーネンさんも語ってくださり、さらに私が驚くような可能性も教えてくださり、私はとても励まされました。


これでいいのだ・・・と思いました。ものすごく自信がつきました。
「さあ、頑張りなさい~」と、笑顔でバンと背中を押されたような気分でした(笑)。

セッション時間は、あっという間に過ぎていき、とても有意義な60分間を過ごさせていただきました。

「今回(セッションを通して)、あなたのようにスピリチュアルを実践している人とお会いできて、私自身、とても興味深かかったです。」と最後に言っていただき、私も、レーネンさんという、厳しくも愛をもって真摯に「霊的哲学」の道をコツコツと歩まれている『人生の大先輩』とお話ができて、とても光栄に感じました。


今回、このタイミングで個人セッションをお受けすることができて、本当に良かった・・・と思いました。

こうして、レーネンさんのセッションを受けたところから始まった今年の8月・・・。

その他、いろいろとアドバイスをいただいたことを、家族の問題への対処法にも生かしていきながら、自分のエネルギーをフルに使って、一日一日を大切に過ごしてきました。


もしも、レーネンさんのセッションを受けていなかったら、迷いを起こして、最後まで頑張り抜けなかったかもしれません・・・。そんなことを思いつつ、暑い日々を乗り越えていきました。


まだまだ精進しなくちゃいけない自分ですが(笑)、この方向性で間違っていないことがわかったので、このまま自分の可能性を信じて、さらに精進していきたい・・・と思いました。


そこに存在すること自体が、癒しであり、浄化である・・・。

そこに居るだけで、癒しが起こり、浄化が始まる・・・。

そして、その人が、自分の「魂の目的」に気付くことができ、今の状況を受け入れることができ、「本来の姿」になるための実践や行動を促していく・・・。

これが、私が目指している境地です。

ただ、会うだけで、ただ触れるだけで、大きな気付きを得て、「正しい方向」へと導いていく・・・。

それは、たとえ今世では芽が出なくても、来世で出ればよし・・・。でも、私が種を蒔いていることは、神仏や宇宙は知っていて、人間は誰も気づかず、誰にも知られなくても、目に見えない崇高な存在が知っていてくださる・・・。それでいいのです。

今までも、これでずっとここまで来たのですが(笑)、これからも、これで良かったのです・・・。


そして、各々が目覚めて、ぞれぞれに気づきを得て、他人の力を借りなくても、物事の「本質」を自分の感性で見抜くことができる・・・そういう人たちから、受け入れられ、認められていく・・・。そして広がっていく・・・。


これで良いのだ・・・と思いました。

そうです。通好みの「私」で、行けばいいんです(笑)。

私の本当の価値に気付いてくださる方々と共に、私は大きく広がって生きたい・・・と思いました。


夏の終わりの夕陽のように、私の心の中をやさしい光が差し込んでいます・・・。

8月の終わりに、そんな心の境地に至り、今、静かに夏が閉じようとしています・・・。

濃かった8月、私の居場所が見えてきた一カ月でした。


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