(雨上がりの街なみ)
老人介護について思うこと。
介護する家族にとって、介護は、「罪悪感を持たないための修行」だなぁ・・・と思います。
また、介護されるお年寄りにとっては、介護とは、「最後のお徳積みのための修行」だと思います。
家族にとっての修行・・・「罪悪感を持たない」について。
老人介護というと、今でも、「在宅で、女性が犠牲になって、自分の全てを投げ出して世話をするもの」という価値観が日本には根強く残っています。
でも、今の社会状況だと、未婚の男女が増え、年寄り世帯も増え、家族の構成員が昔と大きく違ってきたこともあり、昔の価値観で「介護は女子供の仕事」なんて言ってられないのです。男も女も関係ありません。また、老老介護という言葉も出てきたくらいで、自分も高齢者となっても、大切な家族を看なくてはいけない状況も出てきます。
男だからとか、女なんだから・・・なんてことは、もう通用しない時代に突入したのです。
男であっても、自分の親や妻を介護しなくてはいけないのです。
また、女性だからと、すべてを背負う必要もありません。
今の日本は、状況や状態に合わせて、介護保険制度をいろいろと利用できる時代になったので、一人で抱え込まないで、もっとオープンになって、いろんな人や様々なサービスに助けてもらうことだと思います。
「分かち合う」ことが、大きなテーマになると思います。
家族の中で分かち合い、社会と分かち合う。
皆で助け合っていく・・・そういうスタイルに移行してます。
人々の意識も、「分かち合う」という方向で、どんどんアップデートしていくことが必要です。
自分にできることをどんどんシェアして、みんなで乗り越えていく・・・。そんなスタイルが「成功例」となっていくと思います。
ですので、超高齢化社会に突入した現在、「施設の世話になるのは恥ずかしい」とか「ヘルパーさんに世話してもらうのは世間体が悪い」とか、そんな頑固で意固地なとを言っている方が、もう恥ずかしい時代なのですよ~(笑)。
だって、ご近所を見渡しても、みんな高齢者ばかりじゃないですか・・・(笑)。
ご近所の皆さん、ほとんどが老人なんだし(笑)、今や、60歳以上の老人がいない家庭は無いくらいなんだし(お年寄りがいない家庭でも、ここ数年の間に家族や親せきの老人を見送った・・・という家が多いと思います)、周囲は、みんな「足腰が痛くて動けない」とか「認知症が入って少しボケてる」とか・・・そんな具合の悪い年寄りばかりなのですよ~。
だから、恥ずかしがっていないで、堂々と、介護サービスの世話になり、いろんな人に関わってもらって、みんなで爺ちゃん婆ちゃんを看てもらうことです・・・。それが、ある意味、「社会貢献」でもあると思うのです。
後で、老人の「徳積み」のところでも説明しますが、介護職に就いている人達は、仕事を通して、社会貢献をしています。介護の仕事に就いている方々は、お年寄りの介護をすることで、仕事を通して「徳積み」をしているのです。
身体の具合の悪いお年寄りに関わり、いろいろと世話をする・・・ということを通して、介護職の皆さんは、社会に貢献し、自分たちの愛のエネルギーを循環させ、仕事を通して、「徳積み」をしているのです。
だから、介護職の皆さんに、「恥ずかしい」とか「申し訳ない」とか「後ろめたい」とか、変にネガティブな感情を持つ必要はありません。
それよりも、介護職の方々が気持ちよく仕事をしてくださるように、家族の皆さんは、サポートしてほしいと思います。
担当のスタッフの方に、爺ちゃん婆ちゃんのことについて、包み隠さず正しい情報を伝えて、よりよく知ってもらうように努力するとか、何か分からない事や気づいたことがあれば、遠慮しないで正直に打ち明けて、誤解や分からないことを解消する努力をしたり・・・等。
また、担当の方にしてもらったことで「嬉しかったこと」「良かったこと」があれば、素直に「ありがとう」と伝えたり・・・。
そんな風に、身体が上手く動かず、コミュニケーションもうまく出来ないお爺ちゃんお婆ちゃんの間に入って、心を通わせて、介護職の方が気持ちよくお仕事ができるように、心を配ってください。
その「心を配る」ところに、愛と癒しのエネルギーが流れていきます。
担当のスタッフと家族の関係が良好になれば、自然と、介護もうまくいきます。良い流れが生まれて、ますます「お浄土」のような介護の現場へと昇華していきます。
家族で抱え込まずに、オープンになって、いろんな人に、正直に事実を伝えて、正しく理解してもらい、よりよく介護してもらえるように、コミュニケーションを上手に行ってください。
そして、自分の中にある「怖い」とか「恥ずかしい」とか「罪悪感」とか「自分を責める気持ち」とか・・・等。そうしたネガティブな感情を一つ一つ見つめて、それらを克服してくださいね。
介護をしていると、もう、綺麗ごとなんて言ってられないと思います。
世間体を良くして、見栄えよく自分を飾る・・・なんてことも無理になると思います。
もう、本音・直球勝負・・・しか通用しなくなるのです。変に自分を飾り立てて、カッコつけていると、ますます自分の首を絞めることになります。
「つらい」のにら「つらいです」。「苦しい」なら「苦しいです」・・・と、正直に自分の気持ちもケアマネさんに打ち明けて、その上で、自分にとっても年寄りにとってもベストな方法を探してもらうことだと思います。
オープンになって、隠し事をしないで、どんどん公表し、自分に正直になっていく・・・。
これが、介護する側の「家族」の修行です。
こうして、年寄りの介護を通して、自分自身のエゴやプライドも削ぎ落として、サッパリと正直者の自分になってくださいね~。
次に、介護されるお年寄りにとっての修行・・・「徳積みの修行」について。
今のお年寄りの多くは、人の世話を焼くのは好きだけど、人の世話になるのは嫌だ・・・という価値観の人が多いように思います。とくに、高度経済成長期に、第一線で活躍された方ほど、プライドが高くて、自尊心も強く、「人の世話になる」ことは屈辱だと感じる人が多いようです。
でも、老化とともに身体機能が落ちていけば、嫌でも、若い世代の人たちの厄介になって、世話をしてもらう立場になっていきます。
このとき、実は、「自分の我執を取り払って、清らかで明るく軽い心になる」というのが、最初の「修行」になります。
もう、以前のように身体が動かない・・・という事実を受け入れて、プライドやエゴも捨て去って、空っぽの心になって、素直に気持ちで「世話をして下さる人の『愛』を受け取る」・・・そういう「心」に、自分を作り替えていくことが必要になります。
現役時代の元気なうちに、↑のようなエゴやフライドを捨てて、明るくサッパリとした軽い心になっていれば、あとはとてもスムーズに流れていくのですが、多くの年寄りは、エゴとプライドを強く握りしめたまま老人になってしまっているので、まず、ここが第一関門・・・。ここで、そうとう苦労するのです。
だけど、もうすぐ人生を閉じる時期に来たのであれば、もう、こうした我執は捨て去っておかないと、お迎えが来ても、一緒にお浄土に行けないのですよ~。
これは、セッションのとき、仏縁のある方にはよくお話することなのですが、仏界って、とても明るくて陽気で楽しくて、エゴもプライドもない、心がツルッツルでピカピカなところなのですよ~。エゴもプライドもないから、カラッと軽くて、とにかく明るい。陽気で朗らかな世界なのです。
なので、生きている人でも、心が菩薩や如来の域に達している方は、とにかく明るくて、サッパリと軽快で、陽気で、一緒にいると自然と笑顔になって、ネチネチと執念深く人を恨んでいるのがアホらしくなるくらい、「明るさパワー」が強烈なのですよ・・・(笑)。
エゴもプライドもないから、変に威張るところもないし、人を見下すところもないし、誰に対しても、いつでも何処でも「陽気で、明るくて、楽しくて、軽快」なのです。そういう心の持ち主なのです・・・。
というのも、菩薩も如来も、仏界自体がそういうエネルギーだから、そういう心の持ち主でないと、仏界の仲間に入れないのですよ~。
だから、死ぬまでに、出来るだけ、エゴやプライドは削ぎ落として、できるだけ身軽になったほうが良いです。
臨終の時に、阿弥陀様と二十五菩薩様がお迎えにいらっしゃるようですが、そのとき、エゴもプライドもそのままだと、重すぎて、とてもお浄土へ連れて行くことができないのです。
そのための、最後の修行として、老化によって、脳や身体の機能が落ちて、「他人の世話になる」という体験を積まなくてはいけないのだと思います。
しかし、日本の場合、多くのワガママ老人たちは、家族が相手だと、世話をしてももらっていながら、それでも偉そうに威張って、踏ん反り返っていて、感謝の心が芽生えない・・・という人も多いので(笑)、だから、神仏は「介護保険制度」というものをお作りになり、他人の世話になる・・・という経験を積ませるようにされたのだと思います。
だから、まずは「社会の世話になる」という経験をすることで、エゴやプライドを剥ぎ取って、真っ新で素直な気持ちになること・・・。これが第一の修行です。
そして、次に、自分の世話をしてもらう・・・ということは、世話をしてくれる人に対して「徳積みの機会を与えている」ということになります。
分かりやすく説明すると、介護職の若い女性が、入所しているお爺さんの介護を担当していて、そのお爺さんの世話を心を込めていている・・・としたら、その女性は、お爺さんの世話をすることで「徳積み」をさせてもらっている・・・ということになります。
そして、一方のお爺さんは、自分の世話をしてもらうことで、その女性に「徳積みのための機会を与えている」ということになるのです。
自分の世話をしてもらうことで、相手に、徳を積ませてあげる・・・。実は、これも、尊い修行なのですよ~。
介護職の方が、「今日も頑張った。いい仕事ができた~」と充実感を味わえるほど、仕事を通してたくさんの「徳」を積んだことになります。仕事を通して社会貢献をし、人々のお役に立てたのです。つまり、神仏の御手伝いができた・・・ということに繋がります。
そして、その介護職の人が「徳積み」できたのは、世話をさせてくれたお年寄りが居たからこそ・・・。だから、徳を積ませた老人も、「若い人たちに徳を積ませてあげた」ということで、老人にとっても「徳積み」になる・・・というわけです。
世話をする、世話をしてもらう・・・。お互いの間に「感謝」と「愛」が通っていれば、それは、お互いにとって「徳積み」になるのです。介護職の人も「自分に世話をさせてくださり、ありがとうございます」と感謝の気持ちで接し、老人も「世話をしてくれてありがとう」と感謝の気持ちを持てれば、二人の間に「慈愛」のエネルギーが生まれ、それが、その場を浄化して清め、ますます素晴らしい環境になっていきます。
こうして、「徳積み」はどんどん進んでいくのです。
留まることなく、どんどん大きく広がっていくのです。
そんな心の境地に至ることが、介護を受ける側の「年寄り」の修行です。
「恥ずかしい」とか「嫌だ」とか「みっともない」とか「世間体が悪い」とか、そういう感情をどんどん削ぎ落として、こうした感情の根っこになる「ネガティブな心」を手放して、身軽になり、軽くなり、明るくなって、最後には、我執を全て取り去って、生まれた時の純真な「心」に戻って、この世を去っていく・・・。これが、年寄りに課せられた最後の修行だと思います。
だから、年寄りは、家族だけでなく、たくさんの人に関わってもらって、いろんな人の世話になって、たくさんの人に「ありがとう」「ありがとう」と感謝の言葉を言うたら、最高にベストなのですよ~。
「ありがとう」の数だけ、「ありがとう」の気持ちを送った人の数だけ、徳がたくさん積まれていくと思います。
だから、家の中だけに閉じこもっていないで、いろんな施設やサービスを体験して、そこで、たくさんの若い人たちと出会い、世話をしてもらって、「ありがとう」と言えた方が、とても幸せなのです。
子どもだって、ママと二人っきりで家の中に閉じこもるより、いろんな人と出会って、たくさんの人から愛をもらい、可愛がってもらって、たくさんの人に見守られて育った方が、良い子に育つでしょう?・・・それと一緒です。
だから、罪悪感を持たないように・・・。
いろんな人に関わってもらう・・・ということは、多くの人に「徳積み」の機会を与えているのだと思い、喜んでサービスを受け入れて、おおいに関わってもらうようにしてくださいね。
そして、誰か一人が犠牲になるのではなく、また、誰が一人が得するのではなく、みんなが平等に「幸せ」で「楽しく」感じられるように、皆でコミュニケーションを密にして、「慈愛のエネルギー」を生み出して、皆にとっての「徳積み」になるように・・・そう実践してほしいと思います。