すぐに傷付く人が相手だと、正直なコミュニケーションができません。
相手が傷付くと面倒だから、こちらから言いたいことは一切言わず、相手にあわせて適当に話をして、相手のご機嫌をよくしてあげて、それでおしまい。
私も正直な意見を言わないし、当然、相手も自分の本心からかけ離れたことしか言わないから(傷付きやすい人は、自分の本心を隠そうとする傾向があります。無意識に嘘をついたり、演出したりする)、一緒にいても何の実りもない、無駄な時間を過ごすことになります。
でも、そういう風に接してあげないと、相手は些細なことでもすぐに傷付くから、あとで面倒くさいことになるんです。
要は、傷ついたと感じた瞬間、「傷つけられた自分=被害者」VS「自分を傷つけた相手=加害者」という思考回路に突っ走り、どんどんネガティブになって、責めたり、怒ったり、いじけたり、いろいろやらかしてくるんですよ。
そして、自分の心が落ち着いて復活するまで、永遠と、「私が傷付いたのはあなたのせい!責任をとりなさい!」とネチネチ責任を擦り付けてくるんですよ。
もうねー、こういうのがホントに面倒くさい!
だから、当たり障りなく適当なことを言って、早くその場から立ち去るように気を付けています。
だからね…、いつまでも「私は傷付きやすい」という人は、めっちゃ損しているんですよ。
相手から貴重な話を聞かせてもらえるチャンスだというのに、自分の傷付きやすさ(豆腐メンタル?)が原因で周りに気を使わせ、相手はあなたには真実を語ることを躊躇します。
真実を伝えてもちゃんと受け取れないだろうと、最初から「言わない」を選択するのです。
その方がお互いにとってベストだから、です。
すぐに傷付くのは、『真実』を受けとる心の準備ができていない、ということです。
そういう人には真実を語っても無駄になるんですよね…(;´A`)。
すぐに、どっちが正しいのか?どっちが間違っているのか? どっちが悪いのか?←こういう方向に話が飛んじゃうんです。
だから、当たり障りのない適当なことしか言わない(というか、言えない…)のですよ。
適当に相槌をうち、あなたが傷付かない程度に、あなたのご機嫌を損ねないところで、上っ面のことしか話さない(話せない)のです。
でも、そんな扱われ方で、
「あなたはそれで本当にいいの??」
…と、私は思います。
「自分が傷付かない」ということを基準に世の中を生きていると、全てのことが、「私は傷付いたか?傷付かなかったか?」で判断するようになります。
すると、
「傷付かなかった=良いこと」
「傷付いた=悪いこと・ダメなこと」
という価値観に染まり、
「私を傷つけずいい気分にさせてくれる人=優しくていい人」
「私を傷つける人=酷い人、悪人」
という風に、人を見るようになるんです。
いやいや、これ↑は違いますよ〜。
私の価値基準では、
「真実を語る人=信頼できる人」
「真実を語りあえない人=心を許せない人」
という感覚で、自分が傷付く?傷付かない?は、まったく関係ない話なんです。
自分がたとえ傷付いたとしても、それが真実なら受け入れなくてはいけないんだから、むしろ、私に真実を語ってくれる人を私は信頼します。
だから、自分が傷付くなんてことは、宇宙的視野に立ったら、気にすることない小さいことだということです。
だからね、いちいち傷ついて落ち込んで凹む人って、自分だけの世界の中で生きている、ちっちゃい人なんですよ。
そんな小狭い価値観で生きてたら、視野が狭くなって、心も萎縮しちゃいます。
そうじゃなくて、自分が傷付く・傷付かないという基準じゃなくて、
「真実を知る」
「現実を受け止める」
…これ↑で、生きていくべきなのだと、私は思います。
どんなにショックであろうと、傷付こうと、現実がそうであるなら、受け入れるしかありません。
自分には気に入らなくても、それが真実なら受け止めるしかないのです。
受け入れ、受け止めたうえで、「自分はどうするのか?」を、自分で決めていくしかないのですよ〜。
現実を知るから、適切な対処ができるのです。
真実を受け止めるから、現実的に行動できるのです。
でも、傷付きやすい豆腐メンタルの人って、自分が傷付いたことを免罪符にして、現実を拒否しているどころがあります。
傷付いた!ということを全面に出すことで、自分の世界に籠っちゃうんですよ。で、自分にとって都合の悪い現実を、全部シャットアウト。結構、頑固で意固地なんですよね。
そして、自分が傷付いたことを言い訳に、ぜったいに現実を見ようとしません。耳も塞いで聞こうとしません。
で、悶々と自分の殻に籠って傷付き続けています。
だから、ある意味、こういう人って、精神的に「幼い」のだと思います。
ちっちゃい子供って、そうでしょう?
厳しい現実を突きつけられると(自分の手に逐えないことだと)、ギャン泣きして拒否するではありませんか(^_^;)。そして親などの大人に甘えて助けてもらう…。
乳幼児なら、これ↑が普通です。
これは、ちっちゃい子供の「当たり前の反応」なんだから、これでいいんです。
精神の発達とともに乗り越え方を学習して解消していくから、まだ幼いときはこれでOK。正常なリアクションですよ。
でも、これと同じ事を、いい年の大人までやっちゃうと、さすがに痛々しいです(汗)。
このとき、大人の場合は、ギャン泣きの替わりに「傷付く」という手法に走ります。無意識にそうしちゃうんですよ。
傷付くことで、子供のギャン泣き同様、『現実を受け入れられない』アピールをして、事実から逃げるんです。
そして、現実を見せてくれた相手を「ひどい!私を傷付けた!」といって、落ち込んだ姿を見せつけることで無言のうちに相手に責任を擦り付けるのですよ〜。
あくまで「自分は絶対に悪くない」のスタンス。
だから、とっても面倒くさいんですよ…(笑)。
現実をしっかり受け止められるか否か…は、精神的に成熟した大人であるかどうか?のバロメーターなんですよね。
10代の子供でも、現実をしっかり受け止めて立ち上がって対処していける子もいるし、いい年こいたオバサンなのに、いつまでもヒーヒーと興奮して現実を拒否る人もいます。
現実を淡々と受け止めていくことができないと、なんだか『永遠のお子ちゃま』みたいな感じ…なんです(-_-;)。
心がお子ちゃまの人だから、特別な配慮が必要になってくるんですよ(汗)。
ピリピリと気をつかってね。
その人を傷つけないように…。
その人の『心の地雷』を踏まないように…。
特別に配慮してあげなきゃいけない。
でも、最近の私は、もう、そういうのがメッチャ面倒くさく感じられるようになりました。
別に、酷いと言われても、優しくしてくれないと嫌われても、私は真実を語り、正直にオープンに生きたい。そう思うようになりました。
傷付きやすい人の豆腐メンタルに合わせあげて、自分を押さえて、小さな子供に向き合うような感じで接してきたけど、これからの私は更に正直にオープンに生きていこうと思います。
というのも、このままじゃ、お互いに無理しすぎてバランスが悪く、どちらにとっても良くない〜と感じたのです。
私は私の正直さのレベルを更にあげて、私の真実をオープンを語っていきたいと思います。
なので…
豆腐メンタルの人は、傷付いたことで他人を責めて怒るのではなく、自分の豆腐メンタルを自覚して、自分を成長させることにエネルギーをつかってくださいね。
そして、傷付いていちいち凹んで落ち込んでいる暇があるなら、その時間とエネルギーを「自分の心を鍛える」ために有効に使ってほしいと思います。
もうね、無理して合わせてあげて、優しく接してあげられないのよ。
自分に嘘をつきたくないから…(-_-;)。
そして、何より、
私は真実を語り合える人と繋がっていきたいから…。
もう逆戻りはできないのです。
退化できないのです。
停滞もできないのです。
私も前進しなくてはいけません。
私は私の真実を大切にしていきたい。
そう思うのです。
傷付きやすい人は、ちゃんと自分の現実を受け入れて、現実をしっかり認識していきましょう。
現実を受け入れる覚悟をもってください。
そして、現実にしっかり向き合い、現実的に対処していきましよう。
もう逃げないでね。
嘘も言い訳もこれからは通用しません。
早く覚悟を持ち、自分のために立ち上がってください。